74年前に終わった戦争の頃、まったくもって食べ物の
無かった頃、標題のようなものが、いかに貴重品だった
かということを、今から55年前に54歳で亡くなった
母から聞いたことがあります。
瓶詰めといっても、ガラス瓶ではありません。
瀬戸物の瓶です。疎開先のわが生誕地で、後々まで、そ
の瓶を、梅干し入れに使っていました(笑)
広島で、姉を亡くした妹さんの「詩」に出て来る、「み
かん」の瓶詰めがわすれられません。
こんな文章です。
8月5日の晩。姉は、なぜか「みかんの瓶詰め」が食べた
いと言った。
母さんが、それはまさかの時の食べ物やからねえー。と、
言った。
姉は、ほうじゃねーと言った。
次の朝、姉は、じゃあ、行って帰ります。と、玄関から
半分顔をのぞかせてにっこり笑って、出て行って、帰って
来なかった。
それから母は、亡くなるまで、みかんやみかんの缶詰を
口にしようとしなかった。
今日は、ただひたすら静かに暮らす日です。合掌!
ログインしてコメントを確認・投稿する