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2019年08月06日00:00

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映画『夕凪の街 桜の国』

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『夕凪の街 桜の国』(日本)
2007年公開・佐々部清監督。原作は『この世界の片隅に』こうの史代による同タイトルの漫画。昨年、NHK広島開局90年記念作品としてテレビドラマ化されたのも記憶に新しい。広島の原爆投下から13年後(原作は10年後)の昭和33年を舞台とする『夕凪の街』と、現代(平成19年)を中心とした『桜の国』の2部構成。原爆スラムで母とふたりで生活する平野皆実(麻生久美子)26歳と、現代編では皆実の姪となる石川七波(田中麗奈)28歳を中心に原爆によって人生を変えられてしまった人々の生きざまを描く。
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去る3月9日に杉並女性団体連絡会主催による「映画会〜平和への願い」で本作の上映会が行われ、佐々部監督の登壇もあるとのことで杉並区の会場まで足を運んだ。定員560名の会場はほぼ満席で盛況だったが、見渡す観客の平均年齢が大よそ60歳前後という印象で若者の少なさが残念だった。
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佐々部監督(山口県出身)は学生時代から映画業界で活躍されるまでの12年間を阿佐ヶ谷〜荻窪近隣で生活されていたそうで、地元方々にしか判らない地名等を交えた地元密着トークを軽妙にされた後、本作に関する当時の経緯や思いを語られた。佐々部監督にこの映画製作の打診がきたのは2005年。しかし『半落ち』がヒットした直後のこともあり、既に2本の次回作が決まっていてお断りをしている。だが依頼側は監督のスケジュールが空くのを待つと再びの打診をしてきた。どうやら他に依頼した監督方々にも断れたかららしいのだが、そこで改めて原作を読み直した佐々部監督はその作品の素晴らしさに気づき、是非自分でこの原作を映画に撮りたいという気持ちで名乗りを上げたそうだ。漫画というメディアに関心がなかった佐々部監督だったが「この真っ白いコマはなんだ?」と、そこにある作者の訴えに感銘したという。
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ところが製作を始めてみると、原爆という重く難しいテーマであることから東映、東宝、松竹と配給を断られるというハードルがあり(本作の配給はアートポート)、実際の公開後も「なぜ今さら被爆二世を露骨に描く映画を作るのか?」という非難を原爆被害当事者筋から受けたこともあり、当時の考えの甘さを痛感したとのこと。戦後生まれの自分がこの映画を撮っていいのか?という葛藤もあったそうで、12年経った今でも作る時に勇気が必要だったことが思い出され、その勇気をくれたひとりが最後の助監督作品「ホタル」で現場を共にした高倉健氏だったそうだ。「映画はなにを撮ったかではなく、なぜ撮るかなんだよ」と言われたとのこと。
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クランクイン前に関係者を集めて「この映画は日本人が日本でしか作れない作品なので誇りを持ってやりきろう」と言うと、麻生久美子がポロポロと泣きだしたそうだ。原作の昭和30年の設定を33年に変えたのは、監督自身が生まれた年に合わせることで時代背景を把握しやすくしたかったから。他にもロケ地での思い出話などを交えたトークが続くが、特に印象に残ったコメントとしては、本作は『桜の国』があってこその作品だと訴えていたこと。日常の幸せが原爆の一瞬から変わってしまった家族を、2世代に渡って描くことこそが、原作者の思いであったと考えた佐々部監督は、ラストの電車内で石川旭(堺正章)が娘の七波に言った「だからお前が幸せにならないとな。」を受けての田中麗奈の笑顔が撮れた瞬間、この映画の成功を確信したそうだ。
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今回、大きなスクリーンで初めて本作を鑑賞し、公開から12年を経過してもこうして上映会が行われている本作のクオリティを再認識。涙腺は終始ゆるみっぱなしだったが、皆実と旭(伊崎充則)の母である平野フジミ(藤村志保)が、被爆者を嫁に迎えることを鬼の形相で反対する場面に、原爆のなんたるかを思い知らされる。旭が想いをよせる太田京花(栗田麗)はフジミ自身が可愛がってきた近所の孤児であり、ましてや自分自身が原爆被害者であるにも拘わらずのその言葉には耐えがたい重みを感じる。
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七波の少女時代の親友・利根東子(中越典子)から借りた上着のポケットに入っていた、の凪夫(金井勇太)から恋人であろう東子へ宛てた別れの手紙。作中ではあっさりとしか描かれていないが、これはフジミが旭に突き付けたのと同じことを、東子の両親が言っていると示唆している。ここが佐々部監督の言葉にあった甘さに葛藤する場面のひとつではないか。忘れてしまいたいと思う当事者たちの潜在意識と、忘れてはいけないという確固たる思い。語られないために当事者の子供たちですら知り得なくなっている社会の実態を、この映画では七波がタイムスリップしたかのごとく両親の馴れ初めの場に立ち会う演出で補う。ここは映画ならではの手法が効果的で、他にも原作ではまったく絡まない皆実と旭が共演する場面も総じて素晴らしい。
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「原爆は落ちたんじゃない、落とされたんよ。」と弟の言葉を訂正する皆実からずっしりと伝わる憤りと強かさ、そして旭への優しさ。もの静かに流れていくストーリーの中で、悲劇を訴えるだけではなく人々への愛情と思いやりを忘れずに生きていく姿を描くのだが、そこには常に、死んでいった人たちへの負い目がつきまとう「うちはこの世におってもええんかね?」。
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切通理作+狩野美智子著書『15歳の被爆者』でも狩野さんの言葉に「亡くなった人っていうのは、なんにも未来はないわけね。その後の生活がないわけでしょ。その人たちのために、その人の分まで生きるっていうのは不可能なのよ。」「やっぱり亡くなった人に対する気後れみたいなものがありますよね。」とあるが、皆実はまさにその葛藤を自らの罪悪感に仕立てている。原作ではそれをかなり辛辣なモノローグで語るのだが、これを映画では告白された会社の同僚・打越豊(吉沢悠)に聞いてもらうという演出にアレンジされているのが上手い。原作での露骨な単語は台詞では避けられているが、それでも麻生久美子の可憐な方言の語りによって、皆実の心の痛みはひしひしと伝わってくる。
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原作とはテイストが異なる本作全体を包み込むやさしい印象のイメージは、被爆直後を生々しく語る皆実のモノローグを使わなかったことから築かれている。打越の「生きててくれてありがとうな。」という言葉が、皆実にとっての幸せの頂点であり、そこから転げ落ちるように展開していく末の彼女の台詞は、麻生久美子=皆実の透明感のある声だからこそ心をえぐる。「うちらは誰かに死ねばいいと思われた。死ねばいいと思われる人間に自分が本当になっとる気がして。」「なぁ、嬉しい? 13年も経ったけど、原爆を落とした人は、やった、またひとり殺せたってちゃんと思うてくれとる?」このやさしくも辛辣な作品は、もっと20〜30代の人に観る場をつくるべきと感じる。

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