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2019年07月25日05:31

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さすらいの旅人

嵐にあって、船は知らない島に漂泊した。
「漂泊」とはさすらうという言葉。

そこから、「漂泊の旅人」と呼ばれている人達を考えてみました。


まず、イエスキリストがいました。

世界中に足跡を残しています。
弟子達をつれて布教の旅に漂泊した。

お釈迦様もそうです。
日本でもたくさんの僧や歌人、武芸者達が漂泊の旅に出ました。
松尾芭蕉も奥の細道の
旅にでましたが、520年前に同じ旅に出た西行法師を尊敬していたといいます。
西行にはたくさんのエピソードがあります。
藤原家の武士を捨て突然出家するのです。

泣いて足にしがみつく幼い娘を廊下から庭に蹴落として漂泊の旅に出たのです。

理由はいまだに分からないという。
しかも、歌人として有名で、新古今和歌集に一番多く歌を取り上げられています。

その生きざまに腹を立てていたのが、その当時に活躍していた、
文覚(もんがく)という僧侶です。

彼は空海ゆかりの寺を再興しようと後白河法皇に寄進に行って、無礼者と伊豆に流されてしまいました。

そこに同じ流されて来た源頼朝に平家を滅ぼすよう説得したのです。

頼朝は警戒してその気を出さないでいたので、文覚はどこからか拾って来た骸骨(がいこつ)をお前の父親の骸骨を見つけて来た。

これでも復讐する気は起きないか!

と叱責したのです。

その後、源頼朝が天下をとったので文覚は空海のゆかりの寺、神護寺を再興できたのでした。
その荒法師文覚が
出家して僧になって
歌に明け暮れているような坊主に会ったら
頭を砕いてやる!
と弟子達にいつも言っていたのです。

それを、伝え聞いた
西行が寺を訪れたのでした。

弟子達は大騒ぎになりました。

しかも、西行は泊めて欲しいと言ったからです。
とうとう二人は対面したのです。

文覚は丁寧に迎え入れ、特別に接待し翌日見送ったのでした。
弟子達に一目見ただけで、こんなにスケールが大きい人だとは知らなかった。
上には上がいると荒法師が述べたといいます。

松尾芭蕉が惚れた理由が分かりますね。

『舟の上の生涯を

浮かべ日々旅にして

旅を栖(すみか)とす

片雲(へんうん・ちぎれ雲)の風に

さそはれて

漂泊の思いやまず』

    (芭蕉)


今日の漂泊の思いに

        合掌




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