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2019年06月30日12:27

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図書館の塔と聖なる劔

あの頃というのは本当に昭和の初期のようなものだ。若い頃には気持ちが大きくなるというか、もともと赤子の頃から幼少児にかけては、風が砂を巻き込んで上がっただけで驚くたちだったものだから、同年代の生徒らとは臆してよく話ができなかった。


大人たちも得てして子供を見るように小さなうごめく住人を、あらたな目で発見するばかりで、あの頃は老婆やそうした老人、たちのほうが自分とは近かったのかもしれない。
何しろ苦手な人種が多すぎて、反動で大概の動植物は好きになった。

春の頃は記憶にもないが、やはり他の子らと例にもれずアジサイが好きだった子供だった。雨の日に出歩くおっくうもその頃はなかったろうが、アジサイの紫が生えてカタツムリが喜んでいるような様を見るのは楽しかったが、何度かそのカタツムリを捕まえておのずと知れずずひっくり返したことだろうが、悪気はなかった。


子供の時分にはやはり知れないことは知れぬらしい。

最近の子供らもやはり乳児では当然そこから毛が生えだしたあたりではまだまだ昭和初期の子供らとも何も変わらないようである。オハジキやカルタ、きっと同じように楽しめるだろう。
けん玉にメンコと、きっと同じように進んでいくはず。


わたしたちは案外と時間を進化していない。この百年の時間で科学は進んだろう。
しかし文学は衰退し、芸術は変わらない。


進化したとしたならば農耕技術だろう。畜産技術、次に海産技術を それが令和の時代になりますでしょうか。
もしも戦争のない時代がくるなら



それは文学も芸術も水産技術も発達し

農耕畜産すべてにおいて時代が食と人権に平和され

さらにそれがサラリーマンにも降りてきて


戦争のない時代がくるとは思えない

ひとりひとりが戦っているのだからだ


しかし一人くらいはいるらしい

図書館の塔を上りきって

剣を鍬にもちかえて


どこぞの山にひそむらしい


わが憧れの仙人



人は自然に愛されることはない








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