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2019年04月03日23:25

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ぼくの勤皇運動

自分のジレンマはこうである。右でなければ左、白でなければ黒、友でなければ敵という無意識の形而上学から抜け出ない人々に、仲間に入りたいのだけれども、どちらの陣営にも入るつもりはないということを、いかにして伝えるか。自分は敵でも味方でもなく、まだ答えられてない問いがあり、それについて考えようと言いたいということが、誤解されずに、しかしまた無関心や無関係の表現でもないようにするためにはどうしたらよいか。批判というのは謝絶ではなく、自分たちのやっていることを他人の目から見るように見てみようというお誘いであることを理解してもらうのが、いかにして可能か。

前の日記はどうも失敗らしいので、今度はちがった方向から攻めてみる。

我々の多くは現行憲法において皇室問題というのは既に解決済みであり、後は皇室を愛し敬う、もしくは単に受け入れるだけのことと考えている。しかし、さまざまの異なる理由で、これに賛成しない人々もいる。そして、今回は皇族ご自身から問題提起がなされたのだが、これがちょっと予想もしなかった方向からであった(少なくとも自分にはそうであった)。

まず、陛下が退位の問題について国民に直接訴えるという形をとられた。そして、退位と即位の儀式が国費によって賄われることに対して秋篠宮殿下からご発言があった。

ここで皇室の立場になって考えてみる。皇祖皇宗から代々受けつがれてきたこの貴いお家の命脈を絶やさないという重い責任を負う当主たちにとって、目下の不安とは何か。

一つには、戦後に私有財産を失った皇室は、その存続のすべてを国家に負っている。この点では、皇室の国家への依存は現行憲法において却って高まっているとさえ言える。こうなると、天皇は政府に否を突きつけることさえできない。皇室の運命はもはや時の為政者次第であり、その為政者はあまり頼りにならない民衆の意見に左右される。

しかるに、皇族の範囲は著しく縮小され、このままであると遅かれ早かれご世継ぎの問題が浮上してくる。お家の将来を考える人にとっては由々しき事態である。であるのに、こうした問題も一部「識者」と時の権力者によって決められてしまう。それでも皇室存続に向けて議論が深まるのであればよいのだが、パンドラの箱を開けるのを恐れて、弥縫策で終わってしまう。皇室は政府の決定を拒絶するどころか、自らの意見を公にすることさえできない。

もう一つは政治との距離である。戦後に危うく廃位の憂き目に遭いそうになったご経験から、皇族の方々は政治からは距離をとることを学ばれた。そもそも、皇室が永い間廃されずに残ったのは、政治の世界からは一歩距離を置いていたからだとすると、元の形に戻ったとも言える。しかるに、昨今、再び皇室を政治に結びつけようという動きが顕著になっている。皇室保存という目的からして坐して見ているわけにはいかない脅威なのだが、これについても皇室ご自身は表立って意見を表明することは許されない。

殿下のご発言は、なし崩しに皇室と国家との関係が曖昧になることに対して一線を引きたいというご意志を表明されたものと思う。殿下個人のご意見というよりも、そうした発言が許されない陛下や皇太子殿下の意をも汲んだご発言であると自分は受け取っている。

そして、これが政府や識者ではなく、国民に向けて発せられたのである。その意味するところは、次のようなことではないか。今後ももし国民が皇室を戴いていこうというのであれば、現行のままに放置しておくわけにはいかないんではないか。皇室問題に触れることをタブーとして、一部「識者」と権力者に任せておいてはならない。国民のあいだで皇室をどうするのかじっくり考え議論してい欲しい。

この解釈が的外れではないとして、どのくらいの国民がこのメッセージを受け止めたか。国民に語りかけた皇室の期待に我々は応えられているか。空気を読むのが得意なはずの日本人は、実は強者の期待を察して忖度するだけのことで、本当に悩んで苦しんでいる人々に対してあまりに冷淡ではないか。皇室を尊ぶはずが、自分の皇室観の一方的な押し付けになっていないか。それが尊皇の精神といえるのか。改元をお祭り騒ぎの一つの機会とするだけの人々も、退位と即位の礼を政治的祭典にすべきだと考える人も、自分には関係ないよとうそぶいている人と同じくらい思慮が足らんのではないか。
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