mixiユーザー(id:52595329)

2019年02月17日19:49

271 view

ちいさな独裁者 2

ヘロルトらは到着した日の夕刻には逮捕された脱獄囚の一団を連行して3人をひざまづかせて射殺するに始まり、別の8人に巨大な穴を掘らせた上で高射機関銃で一斉掃射。即死しなかった者らを1人ずつ射殺し更に手榴弾を投げ込んだ。続いて2つあった別の囚人グループを機関銃で射殺し、この日だけで98人を処刑。地元の国民突撃隊部隊も出動させて脱獄囚の捜索、逮捕、処刑を行い次第に脱獄囚以外の囚人たちにも手をかけて翌・13日にも74人を処刑した。

4月19日、イギリス空軍の爆撃によって収容所が破壊され囚人のほとんどが脱走。へロルトの一味は収容所を放棄して戦争犯罪を重ねながら放浪し翌日、パーペンブルクで連合軍に備えて白旗を掲げていた農夫を逮捕・処刑。21日にはレーアのホテルに宿泊して野戦裁判所を設置し、男性2人、海軍脱走兵1人、精神障害者1人の計4人を処刑。25日にはレーア刑務所に収監されていたオランダ人5人の身柄を引き取って数分間の簡易裁判の結果、スパイ容疑で死刑判決を下し墓穴を掘らせて処刑した。

しかしへロルトらの悪行はこれが最後となる。連合軍を避けながらアウリッヒに到着した所で現地のドイツ軍司令官によって全員が逮捕されたのである。なお、この取り調べの最中である4月30日に総統アドルフ・ヒトラーはベルリンの総統地下壕で自決し、5月2日はソ連軍によって帝都ベルリンが陥落する。その翌・3日に海軍軍事裁判所において全ての罪を自白したへロルトであったが、時勢を鑑みられたのか4日には執行猶予大隊への転属が命令される。しかしその後に再び逃亡して行方不明となった。史実ではヒトラーから後継者に指名され、フレンスブルク政府を率いたカール・デーニッツ大統領が5月7日に連合国に降伏して終戦となりドイツ第三帝国は滅亡する。

一方、ヘロルトは戦後にヴィルヘルムスハーフェンにて煙突清掃員として働いていた。しかし5月23日に食パン1斤(きん)を盗んだ罪で進駐していたイギリス海軍に逮捕され、多数の戦争犯罪が明らかになる。1946年2月1日、イギリス軍はへロルトと彼が率いた敗残兵を集めてアシェンドルフ湿原収容所跡で犠牲者の遺骨を掘り返すよう命じ、最終的に195人の遺骨が回収される。8月、イギリス軍はオルテンブルクでへロルトと敗残兵14人を裁く軍事裁判を設置し、125人を殺害した罪が問われ8月29日にへロルトと6人の敗残兵に死刑、5人には無罪が言い渡された。死刑判決が下された内の1人は後に控訴して判決が取り消されている。

1946年11月14日、ヴォルフェンビュッテル戦犯収容所にてへロルトと5人の敗残兵に対しギロチンによる斬首刑が執行された。ヴィリー・へロルト享年21。
生前の蛮行から現在では「エムスラントの処刑人」という仇名が付いているがイギリス軍による尋問中、虐殺の動機を問われた所、

「何故収容所の人々を処刑したのか自分でも分からない」

と答えたという。映画では多少の装飾がなされているものの、ドイツ軍に逮捕されるまでが描かれており、その後の死刑に関しては字幕で簡潔に語られるに留められていた。なお、本来は白黒映画だったのですが日本で上映されるに当たりカラー映画となっている。

一応ミリタリーマニアではありますが、この話は今回初めて知った。
最後の写真はヘロルト本人の御尊顔である。
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する