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日記一覧

諏訪湖間欠泉センター
2019年05月30日00:23

諏訪湖間欠泉センターは間欠泉を見る事が出来る観光名所です。無料の足湯の他、内部には諏訪地方で撮影された多数の映画に関する情報なども展示されています。間欠泉とは一定周期で水蒸気や熱湯を噴出する温泉の事であるが、そのメカニズムははっきり分かって

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ババ穴古墳・ジジ穴古墳
2019年05月26日23:04

近くには古墳もありました。かつてこの一帯には天狛古墳群として数多くの古墳があったものの、時代の波によって消失しジジ穴古墳、ババ穴古墳の二基だけが残った。古墳時代末期の円墳で火の雨伝説が伝えらている。大昔に空から火の雨が降った時、この古墳の石

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矢除石
2019年05月26日23:00

春宮周辺の史跡巡り。慈雲寺は正安2年(1300年)に一山一寧が金刺満貞を開基として開山した十一面観音を本尊とする臨済宗妙心寺派の寺院である。また高島藩初代藩主である日根野高吉の墓もある。慈雲寺の中興の祖と言われていた天桂上人を師と仰いでいた

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青塚古墳
2019年05月23日22:28

秋宮の門前町の住宅街の中に突如として前方後円墳が現れる。青塚古墳は明神山の麓から西へ突き出た丘陵の先端部に位置している。付近には他に古墳がなく、独立した存在である。長い年月によって大夫削れてしまい、二基の円墳が並んでいるようにも見えるが安山

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承知川橋
2019年05月23日22:23

手塚城の場所がまさか駐車場とは思わず、当初付近をうろついていた所偶然見つけた物。民家の土台に組み込まれた巨石はかつて甲州道中の承知川にかかっていた橋石で重さは約113トン。輝石安山岩で出来ている。この承知川橋の名の由来としてある伝説があり、

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手塚城
2019年05月21日23:08

1日目の行動を終え、諏訪ICの目の前にある「カンデオホテルズ茅野」に宿泊。片倉館でお風呂は済ませてしまったのですが、ここには展望付きの大浴場があったようで2日目の夜はこちらに入浴しました。2日目の最初の目標は諏訪下社。下社の説明は先にしたので

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片倉館
2019年05月18日18:01

1日目の行動を終えた後、上諏訪温泉の1つである片倉館(かたくらかん)に寄りました。片倉館は昭和3年(1928年)に当時の片倉財閥の代表者で片倉製糸紡績株式会社・二代目社長であった片倉兼太郎が創業50周年を記念し、地元の方への恩返しの意味合い

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桑原城
2019年05月18日16:40

桑原城は諏訪惣領家の居城である上原城の支城として築かれたが築城年は不明である。別名、高鳥谷城、水晶城。文明年間(1469年〜1486年)には諏訪氏の被官である桑原氏が城代であった。文明15年(1483年)には諏訪下社の大祝、金刺興春の攻撃に

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上原城2
2019年05月16日22:18

同年、甲斐国では武田晴信が父の信虎を駿河国に追放するクーデターを起こして家督を継承。諏訪氏と敵対する高遠頼継と同盟して領国拡大のため諏訪郡への侵攻を開始した。さらにかつて敵対した過去を持つ諏訪下社の一味もこれに加担していた。一説に追放した海

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上原城1
2019年05月16日22:14

上原城は標高978mの金毘羅山に築かれた中腹の居館と山頂の詰め城からなる中世山城である。文正元年(1466年)頃、諏訪大社・前宮の神殿で共同生活をしていた諏訪氏の大祝家と惣領家であったが内部対立の激化に伴い芸州・予州大乱と呼ばれる内戦が発生した

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干沢城
2019年05月10日00:12

干沢(ひざわ)城は諏訪上社・前宮の裏側に位置し、大祝が邸宅を構えた神殿(ごうどの)に対する詰め城である。見方を変えれば、特に室町〜戦国期に関しては前宮も城郭の一部、または一体化した存在として扱われていたと考えられる。古来より諏訪大社の大祝を

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樋沢古墳
2019年05月10日00:08

干沢城の登山道前にある樋沢古墳は7世紀頃の物と推定されているが調査がなされておらず詳細不明である。前宮古墳を中心とした古墳群の1つであるが、多くの古墳は現在消滅しており山ノ神古墳と樋沢古墳が今に残されている。茅野市内で現存する古墳の中では最

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法華寺
2019年05月09日00:39

諏訪大社、本宮の横にある法華寺を訪ねました。創建年代不明ながら天台宗の寺院であった物を、鎌倉時代に領主であった蓮仏盛重が建長寺の蘭渓道隆を招いて中興開山し臨済宗に改めた。また神仏習合の時代には諏訪大社上社の別当寺として築かれた神宮寺の宮寺の

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明智光秀公縁の祠
2019年05月08日23:42

周囲の古墳などを巡っている時に携帯の地図上で見つけた存在。実物を見てみるとそれは古びた小さな祠であった。通称「明智光秀公縁の祠」と言われている。この祠は長年忘れ去られていた存在であったが諏訪地域の歴史を研究している人物によって10年ほど前に

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高部遺跡・塚屋古墳
2019年05月08日23:38

諏訪上社の周辺には様々な遺跡があり、その1つに高部遺跡がある。高部遺跡は縄文時代から平安時代に至る重複遺跡で昭和56年(1981年)、道路建設のため3ヶ月に及ぶ発掘調査がなされた。結果、縄文時代中期の住居跡が9、墓穴または貯蔵穴とされる土坑

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神長官守矢資料館2
2019年05月08日23:35

天文11年(1542年)、高遠頼継討伐の際に守矢氏は武田家重臣の板垣信方率いる軍勢を杖突峠に先導したが「高白斎記」によれば神長一騎があったとする。守矢氏と対立する神長に同調した一揆が発生したと考えられている。天文13年(1544年)には頼継

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神長官守矢資料館1
2019年05月08日23:33

諏訪地域には縄文時代頃、東日本に多く見られた蛇の姿をした「ミシャグジ」(表記漢字が地域によって複数あり、200以上あるとも言われている。諏訪では御左口神、御射宮司、御作神などと書かれた)と呼ばれる石や樹木の神を祀る龍蛇信仰があり、やがて狩猟の

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諏訪大社の歴史
2019年05月07日21:41

諏訪大社の祭祀が始まった時期は不詳であるが「日本書紀」の持統天皇5年(691年)に信濃須波の神を祀ると書かれたのが文献上の初見である。平安時代に入ると信濃国の一宮とされ、軍神であった事から坂上田村麻呂が蝦夷征伐の際に戦勝祈願したと伝えられる

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諏訪下社
2019年05月07日20:58

下社は建御名方神と八坂刀売神に加えて建御名方神の兄である八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)を合祀している。「古事記」では葦原中国平定(国譲り)において天照大御神(あまてらすおおみかみ)の孫である瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)降臨に先立ち、建

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諏訪上社
2019年05月06日17:02

諏訪地域は諏訪大社を中心に今日まで繁栄し、古代・中世・近世に至るまで諏訪大社の大祝(おおほうり)であった諏訪氏が右翼曲折を得ながら支配してきた地域であり、その起源は神話時代にまで遡る。最初に訪れたのは諏訪上社の本宮。でもここでは全体の概要を

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諏訪湖
2019年05月05日23:01

GWは長野県諏訪市を2泊3日で訪れました。本当は木曽方面にも行きたかったのですが、現地で見たいものが山ほど増えてしまい3日間の中で岡谷市、下諏訪町、諏訪市、茅野市といった諏訪湖周辺の町を右往左往する旅となりました。その後一旦計画通り帰ってき

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