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2019年02月17日19:47

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ちいさな独裁者 1

末森城の後は栄に移動し宿泊するランドマークホテルに先にチェックインだけして車を手放し名演小劇場に向かいました。1つの劇場に対し定員が20人の小規模な映画館でした。2017年にドイツで公演され、自分が見に行った前日に日本でも公演された映画「ちいさな独裁者」を見るためです。以下は完全にネタバレとなります。

第二次世界大戦のドイツ降伏1ヵ月前に起こった史実を元にした映画で主人公はヴィリー・へロルト空軍上等兵。

彼は1943年に国家労働奉仕団(RAD)からの招集を受けて占領下フランスで「大西洋の壁」建設の工事に従事し、除隊後に空軍に徴兵されてタンガーミュンデの駐屯地で降下猟兵連隊に属して訓練し終えた後にイタリア戦線に派遣されネットゥーノ、モンテ・カッシーノでの激戦に参加。この戦いで上等兵に昇進している。その後所属部隊はドイツに移動してグランゼ戦闘団と合流する。

1945年3月、ドイツとオランダの国境近くであるグローナウでの戦闘中にへロルトが脱走する所から映画は始まる。バート・ベントハイム方面へ逃亡を続けていたその最中、捨てられた軍用車を発見し車内には大量の積み荷があり、その中のケースの1つに勲章付きの真新しい空軍大尉の軍服が納められていた(しかしこれは戦後に本人が語った話で他の証言はない)

へロルトはこの軍服をまとって北へ向かっているとたまたま出会った敗残兵に「大尉殿!」と呼び止められた。戦闘中に部隊からはぐれたため指示が欲しいという。へロルトは自分の指揮下に入るよう命じ、その後も北進しながら弁舌豊かに敗残兵たちを配下に収めていきメッペンに到達した頃には約30人の兵士を従えていた。へロルトはこの偽りの部隊を「へロルト戦闘団」「へロルト野戦即決裁判所」「へロルト衛兵隊」などと自称した。

その後、車を手に入れたが検問所に引っ掛かり憲兵の書類提示の要請を拒否したため取り調べを受けるも堂々たる将校を演じた振る舞いに騙されて「空軍大尉」を証明する証拠が一切ないにも関わらず取り調べを行った担当将校はヘロルトを疑わずに信じ込み、シュナップス(蒸留酒)で歓迎するほどであった。その後、パーペンブルクで付近の収容所が脱獄囚の捜索を受けているとの報告があり市長と地元のナチス地区指導者と会談。へロルトは「自分には特別任務があり、法的些事に割く時間がない」と言い放って脱獄囚の即時射殺を命じている。

1945年4月12日、へロルトらはエムスラント収容所アシェンドルフ湿原支所に到達。ここにはドイツ国防軍の脱走兵や政治犯が収容されており、本来は千人程度の収容能力しかなかったものの大戦末期でドイツ軍の占領地が減少し放棄等された周辺の収容所からの囚人たちが移送されており、3千人近い囚人たちが押し込まれていた。さらにそうした混乱の中で収容所の秩序は失われ、へロルトが到着する2日前にはツェレへの護送中に150人の囚人が脱走する不祥事も発生していた。

ヘロルトは収容所及び地元党組織の幹部らに対して「総統閣下は自分に全権を与えた」と語り野戦裁判所を設置して秩序の回復を図ると宣言。自らの手で事態を収拾する能力がなく、不祥事への処罰を恐れていた幹部らは総統の名を語るへロルトを疑いもせずに受け入れた。こうしてへロルト野戦即決裁判所は収容所の乗っ取りに成功する。
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