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2019年02月17日16:25

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昭和塾堂

昭和塾堂は昭和3年(1928年)、戦国時代の城郭である末森城の二ノ丸部分に愛知県が建築した。

青年の社会教育を行う場所として建設されたものの県の財政難を理由に反対者がいたため費用の1部を寄付金でまかなう条件で県議会で可決された。総工費16万円(現在価格で約2億7千2百万円)の内、4万円(約6千8百万円)が寄付金で集まった物であり、建設に際し勤労奉仕として述べ1081人の青年団員が動員されて約10ヵ月ほどで完成している。

計画当初の元号は大正であり、「教化殿堂」の名称で予定されていた。しかし改元を得て当時の愛知県知事であった柴田善三郎が「昭和塾堂」と命名した。

昭和18年(1943年)、日本軍に接収され戦時中は陸軍東海司令部として使用されていた。戦後は名古屋大学医学部基礎医学系諸教室、愛知県教育文化研究所、千草区役所仮庁舎などに使用され、最後は愛知学院大学大学院歯学部研究棟として使用されていたが昭和42年(1967年)に愛知県から城山八幡宮に払い下げられ、愛知学院大学は城山八幡宮からの貸与という形で使用していた。城山八幡宮では帝冠様式であるとしているが、名古屋大学の研究では折衷様式であるとしている。

また神社境内にはかつて神奈川県の横須賀港で大型艦艇の停泊時に使用されていた留用ブイ繋止錨が残されている。明治時代の製造と考えられ、重量は45トン。昭和55年(1980年)に海上自衛隊から東海海軍連合会へ譲渡されてこの地に設置された。
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