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2019年02月17日16:11

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竹腰城

2月の三連休は名古屋での飲み会があったため尾張攻めです。

福島正則の家臣である祖父江氏が慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの功によりこの地を与えられて築城した。

祖父江氏は後醍醐天皇の孫、尹良親王を祖とし代々に渡って津島神社の神官を務めていた。戦国期には祖父江城を居城とし、分家の祖父江国舎(くにのり)、国之(くにゆき)、国成(くになり)といった祖父江一族は織田信長に仕えて美濃攻略で功を挙げ、2万8千石を領していたという。本能寺での戦死者の中にも祖父江性が多く見られる。

これとは別に祖父江秀治の名も見られる。恐らく本家の当主と考えられる。秀治は信長父、信秀の頃から仕えていたともされており子の秀重(久豊とも)は信長や次男の信雄に仕えていたとする。土豪であった祖父江氏が福島正則の配下となったのは正則が慶長3年(1598年)に尾張国清州で24万石を与えられて以後であろう。ただ正則の出身地近くには祖父江弾正家もあり、昔から関わりがあったのかも知れない。竹腰城を築いたのは秀治と言われているが城主は秀重の子、信勝であったとする。

慶長19年(1614年)、大坂冬の陣において信勝は豊臣氏と内通した嫌疑により改易となり竹腰城も廃城となった。遺構はなく、発掘調査で出土した礎石とされる石が八剣神社に残るのみ。元は案内板もありましたが朽ちて消えてしまったようです。
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