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2019年01月05日17:35

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「第四間氷期」

安部公房作の「第四間氷期」という小説を再読した。
昨年暮れに安部公房作の「榎本武揚」を読んで従来からの安部公房好きが再燃して、またもや彼の作品である「第四間氷期」を読んだ。
「第四間氷期」は60年近く前(1959年)に書かれた本で、私も50年近く前に読んだことがある小説だ。
内容はほとんど忘れていたが、東京が海の底に沈むということと人類が水棲化するという話だったことを覚えていて、それが最近の地球温暖化や異常気象で海面上昇が話題になっているので、現在の状況を予言した作品だったかな、と以前から再読したいと思っていた。

今回読み返してみて、そんな単純な話ではなく”人間とは何か、社会とは何か、未来とはなにか”などを考えさせられる作品だった。
おりしも1月2日にNHK-BSで”マイケル・サンデルの「白熱教室」”番組を見てテクノロジーと人間の関わり合いや未来について考えさせられたことも「第四間氷期」を読んでいろいろ考えるきっかけになった。


「第四間氷期」はSFで時期はいつだかわからないけど、現在(60年前の)の話だ。
主人公は予言機という機械を開発した中央計算技術研究所の研究者・操作者だ(勝見という名前)。
物語はこの人物の1人称で”私”の話として書かれている。

この予言機は現在のスーパーコンピュータやAIコンピュータを彷彿とさせる。
すなわち機械に大量の情報を読み込ませる。機械には自己プログラミングの機能があり、目的の事についての予言を行う。情報量が多ければ多いほど予言の正確性が増す。
天気予報や保険に使うための人間の寿命や株価予想、売り上げ予想、はては競馬予想(競馬の予想は差し止められてしまう)などで正確な予言をする。
(これらのことはまさに現在スーパーコンピュータやAIコンピュータを使ってやっていることだ。60年前のまだきちんとしたコンピュータ(電子計算機)も無い時代にこのことを書いた安部公房の先見性には今更ながらおどろく、すごい! 私は50数年前の学生の頃初めて電子計算機に触れたが、当時のコンピュータ(電子計算機)は一部屋を占めるほどの大型コンピュータでも現在のパソコンよりはるかに能力が小さく、ICもまだ存在しなかった。)
死人の脳細胞と予言機を電極でつないでデータを吸い上げるところも出てくるが、こういったことは現在でも最先端の研究課題である。
小説ではこのような予言機はアメリカやソ連にも存在しており、日本でも開発に成功した、ということになっている。
(ソ連の予言機械が未来は世界のすべてが共産化すると予言した、とあるのは安部公房の皮肉か。・・・この小説から30年後(1991年)にソ連は崩壊した。)

カメラについても”磨かなくてもいプラスチックレンズ”なんて書かれているところもあるが、現在ではスマフォやコンデジのレンズがプラスチックレンズになっている。
しかし一眼レフ用などのレンズはやっぱり磨いたガラスを何枚も重ねている。
センサーやコントロールは非常に発展しているが、レンズは今でもピント合わせやズームなどはモーターやピエゾ素子でメカ的にレンズを動かすといういささか前時代的な構造になっている。
数年前ある展示会で電気信号で屈折率を変えるレンズの試作品を見たことがあるがまだ実用化されてないようだ。

物語では予算を確保するため個人の予言をすることを上層部に説明する。(個人の未来を予言することで犯罪の発見や予防につながる、という説明をする。)
その実験のため一般人の一人(中年の男)を無作為に選んで後を付ける。ところが尾行しているとき女の部屋で突然彼が殺されてしまう。部屋の主の女性が”私が殺しました”と自白する。がその女性も自殺か他殺かわからないまま死んでしまう。

この作品の前半はミステリーのような展開だが後半は非常に意外な展開になっていく。
温暖化現象や海底火山の噴火、大規模地殻変動などによる海面上昇に対処する考えが、水棲人類が陸棲人類にとって代わるということを予言機械が予言する。
そしてそのための秘密組織があることがわかってくる。
つまり現在に未来が乱入してくる。
予言機が予言する未来は現在に対し否定の要求を出してくる。
予言機の発明者である”私”(勝見自身)も予言機から否定される。
未来は現在が未来を予測することを否定し、未来が現在を過去として裁くと言っているような気がする。
未来は現在の延長ではなく未来はそれ自体で存在し未来と現在は断絶しているのではないかと言っているようだ。
予言機が人類の過酷な未来を予言するのは現在の我々が約束された未来という幻影に安住する姿勢を痛烈に批判しているように思える。

最後は”私”は未来から死刑宣言を受ける。

小説なのでやはりドラマもある。
水棲人の一人である少年(おそらく勝見の子供)がまだかすかに残っている陸棲人の痕跡ため”風”を感じて懐かしむところがあるが、陸に上がると水中と違って重力のため死んでしまう、といった場面もある。
空気と水のの境界は未来と現在の境界でもあるようだ。未来は空気と断絶し、現在は水と断絶している。

最後は勝見の部屋の前に殺人者(死刑執行人)の足音が近づいてくるところで終わる。

この本を読むとバラ色の未来なんて、無いと思い知らされるようだ。

安部公房の作品はつねに科学的な事柄は非常に詳細にわたって緻密に説明されるが、それは多分に様々な学説をよりどころにしたものだと思われる。
彼が東大医学部出身ということも関係しているだろう。
この本でも生物学上の緻密な解説や様々な自然現象の説明などがある。

この本は安部公房の作品のなかでは読みやすい本だ。

はやくも次に安部公房の何を読むか検討中である。


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