mixiユーザー(id:66120937)

2018年12月29日18:16

137 view

擬態している

「わたし」に相対するものとして「普通の人は、」という考え方をしてしまう。「わたし」を「普通の人」に含むのは、おこがましい。それは昔からで、今でもそうだ。
だから、わたしはずっと「普通」のふりをして生きている。いつバレるかと、ビクビクしながら暮らしている。

どうしてそうなっているのか、例えば環境のせい(引越しばかりしている)かもしれないけど、そうではないかも知れない。
環境のせい、親のせい、自分の性格のせい、自分が頭が悪いせい、耳が聴こえにくいせい、実は何かが取り憑いている、実は宇宙人だ、
とか考えて何かひとつに決めつけてしまうと、全てがそれに引っ張られてしまう。本当は何も分からないのだから、分からないままにしていた方が良い。
アイデンティティが無いのが、わたしのアイデンティティ。とにかく今はこんな感じだ。それが全てだ。

幼稚園や小学校でうまくいかなかったのも、緊張していたせいなのかもしれないし、やり方がわからなかったせいかもしれないし、勇気がなかったせいかもしれないし、その全てかもしれないし、それは分からない。

「普通」に擬態しているくせに、普通の人と同じことをするのはいけない気がする。矛盾しているが、自分の手の届く範囲で落としどころを探している気がする(技術的にできないのもある)。
「普通のちょっと変わった人」を狙ったりすることもある。しかし基本的には目立ちたくない。目立たない方がバレにくい。無難な服を着て、無難な音楽を聴いて、無難な方向を選びたいのである。

中高生だと、多少大人しくしていても「物静か」で通るからいい。幼稚園や小学校などで喋らないと、ものすごく目立ってしまう。目立ちたくないのに、どうにも動けない。だから「わざと喋らない」などと言われるのは、大変心外なことなのだ。

「普通に擬態」などと言いながら、今でも「普通」には出来てないんだろうな、と思う。自分ではやってるつもりでも、傍から見たら、どうせ様子のオカシイ人に見えているんだろうよ。自分の姿は自分では見られないから、分からない。

日記の中で、変なことばかり書いている。
共感されにくい話でも、何人かには引っ掛かるんじゃないかと期待している。
分からない人にはいくら説明しても分からないことがある。逆に分かる人には説明しなくても「ああ、あのことを言ってるんだな」とピンとくることもあるかと思う。そう思ってあえて書いている。
0 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する