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2018年11月23日05:22

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運動会で一句

山奥の村に祖父母と住んでいた子供時代というともう70年近く昔の話になる。
あの頃は大人は一日中仕事に励み、子供達は子供同士で一日中自由に遊んでいた。
おもちゃはない時代なので、河原、川、山、田んぼ等がオモチャがわり。
恵まれていたことになる。

そして村の学校は我が家から子供の足で徒歩30分くらいの場所にあった。
小学校と中学校でそれぞれ学年毎に1クラスづつあった。
生徒は1クラスに20名前後。
そこで5年生の1学期までを過ごした。
校庭の周りはすこし盛り上がった土手に囲まれていた。
土手の手前には桜があり咲いている時も散る時も綺麗だった。
校庭の下は石垣だったので水はけの良いことで知られていた。


話は小学校1年だった時のこと。
運動会の日を目指して体操の時間はその練習に当てられるようになった。
その中に徒競走の練習もあった。
そこで思い知らされたのは私の運動能力のなさ。
何度走ってもいつもビリ。
それも随分距離を離された上でのビリ。
1等や2等や3等の生徒はだいたいいつも決まっていた。
いいなあ、あんなに早く走れたらと羨ましい。
いつも近所の子供達と夏は川で泳ぎ、春秋は崖をよじ登ったりと結構皆について走り回ったりもしていたから、こんなにダメだとは知らなかった。
行進や競技の練習をしながら、なんとか早く走れないものかと考えていた。

そして生まれて初めての運動会の日がやってきた。
祖母が太巻きやご馳走を重箱に詰めて見に来てくれている。
普段はなかなか食べられないご馳走。
校庭には楕円形に白線が敷かれている。
一年生はその3分の1を走る。
いよいよその時が来た。
一生懸命走る。
どんどん他の子に抜かれる。
またビリだ。
けれどまだ前の子との差はそんなにない。
なんとか抜きたいものだ。
祖母を喜ばせたい。
カーブに差し掛かった。
その時白線の内側を走り始めた。
練習の時は直線でカーブはなかった。
カーブの内側を走ると、なんとどんどん抜けるではないか。
なんとか先頭から3番目でゴール!
やった!

担任の優しい女性の先生が微笑みながらやってきた。
あのねえ、白線の内側を走ってはいけんのよ。
私の背をそっと押して3等の位置から外された。

というわけでやっぱりビリだった。
祖母とおいしい弁当を食べた。
祖母は競争については何も言わなかった。
私も言わなかった。

そこで、とほほの運動会について一句

白線の内側走り皆を抜き


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