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2018年11月02日15:51

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今ここにあるように

昔のことを、写真のようにはっきり覚えている人がいるらしい。本当に羨ましい。子どもの頃のことを全てありありと、そこにあるように思い出せたらいいのに、と思う。
何十年も前のことは、それを思い出しているのか、いつか思い出したことを思い出しているのか、聞いた話を想像したものなのか、夢なのか、分からない。

もっとも、小さい頃は今より怖いものが多くて、それも一緒に思い出さないために、そんな風になっているのかもしれない。
鏡が怖い、月が怖い、指名手配のポスターが怖い、タンスの木目が怖い、タンスに敷いた新聞記事の字が怖い、となんだか怖いものを自分から探しているようなものだった。

子どもの頃に、車の中から夜の景色を見ながら、「今はこれが今だけど、明日は昨日のことになるんだな、今はここにあるのに」と考えた。過去のその一点が今だったその感じは思い出せる。いや、想像できる、かな。

建て直す前の実家の間取り、家に帰って玄関に入って、そこに暮らしている感じは、肌感覚として残っている。小学校の頃住んでいた家も少しわかる。通学路も多分わかる。その時の風景がそっくりそのまま現れれば、道をちゃんとたどっていける。歩けばきっと分かる。

学校でのことは、きれぎれにしか覚えていない。肌感覚ではほとんどない。記号のように、ただ事実として知っているだけ。
イベント的なこと、家族旅行、運動会、修学旅行、などやった事実は知っている。いくつかの風景は分かる。記念写真のように。ただそれだけ。そこにあるようには感じられない。イベントが大きければ大きいほど。

それらからしたら、ずっと最近のことだけど、うちの子(9歳)が小さい頃の、抱っこしている感覚は、まだ肌に残っている。今まだやっているくらいに感じられる。

足元に来て両手をひろげた子供の脇の下から持ち上げて、お尻を抱えて抱っこして、ほっぺすりすりする感じは、まさに至福、わたしの一番好きな触覚である。「子どもは3歳までに一生分の親孝行をする」とは良く言ったものだ。

今はもう大きくなって、抱っこなんて無理、寝ている時にくっついてきたら無意識に足蹴にしてしまっている。
まだまだ小さいのだけど、3歳までとは全然違う。

今は残っている感覚も、いつかなくなって、どうやって抱っこなんかしていたのか、と思うようになるのだろうか。無くしてしまうのは惜しいな、と思う。
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