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2018年10月26日22:20

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我々の存在意義は「存在し続けること」である。


ひとは運命に翻弄されながら生きている。



時には、「そんな美味い話が、あるワケがない!」というような出来事が

実際に起こったりするし、

もちろん、その逆もある。



我々は何も「選んで」など、いないのだ・・・・・・・・・という説もある。

運命論という奴は、それに近い。


ただ


運命と言う巨大な河の中で、強力な水圧に流されながらも我々は、

とても細かく、

その一瞬一瞬で、ほとんど無意識に様々な事を「選んで」いるのだ、

という気もする。


そう、冷静に考えると人生は「選択」の絶え間ない連続である。


この道を、右に行くか、左に行くか、

この場面では・・・「出る」か、「引っ込む」か、

通り過ぎる知った顔をチラ見して、軽く挨拶するか、気付かないフリをするか、

Aにするか、Bにするか・・・どちらも駄目なら「プランC」か、

ここで、「怒る」か、「ぐっと堪える」か、

「愛する」か、「愛さない」か、

ETC ETC.・・・・・・・・・・・・・・。



その、数え切れないほどの「選択」こそが「生きる」ということの本質であり、

今の「私」を作り上げているのも、その「選択」の集積なのだ。


思うのだが


ひと、というのは一瞬の刹那にしか、存在し得ない。

絶えず変わり続けるから。

時間を跨いだ「自己同一性」など無くてもいいのだ。あるほうがオカしい。


つまり我々は

運命という名のチーズを薄〜く、薄〜くスライスして切った、その一枚なのだ。



だから、この一瞬は貴重だ。



そして



我々の存在意義は「存在し続けること」にある。


ついさっき、


何の脈絡も無く確信した。





だから私は迷い無く、「存在し続けよう」と思う。




この一瞬に、全身全霊をこめて、行くのだ。









次のライヴは11月17日、


オオサカ・天満の、


キャパは小さいが音質も照明も極上で、


しかもいろんな意味でバリンバリンにやる気のあるハコ、「PARA-DICE」にて。








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