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2018年10月16日00:48

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古代の思い込み

850年前、平安時代後期の歌人で、面白い人を見つけました。

御徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)藤原実定(ふじわらのさねさだ)。

御徳大寺家の二番目に偉い人という意味。

彼はいろんなことができて、昔のことも詳しく、教養豊かな人です。

「ほととぎす

鳴きつるかたを

ながむれば

ただありあけの

月ぞ残れる」

ほととぎすの鳴き声が聴こえたなあと思って眺めると、ほととぎすの姿は見えず、

ただ明け方の月が空にぼんやりと残っているだけでした。


こんな、光景はよくありますね。

ほととぎすの声に辺りを見渡すが、どうも竹藪の中らしいと感じていましたから。

素直に理解しました。

しかし、愛人の家からの朝帰りではないかと、私は思い込んだのでした。


それは、ある夜、愛人の小侍従に会って、夜明けに帰る時、彼女がまだ家に入らないで見送っているので、振り捨てて行きにくいから、付き人に戻って行って、何でもいいから何か言って来いと命じました。

その愛人は有名な歌人なので、大変な難事だなあと思ったが、

すぐに彼女のもとに走って
大臣さまからと

鶏が声々に鳴き出した(暁を告げた)ので、


「恋しい人を待ちながら聞く鐘の音のつらさにくらべれば、

明け方にお別れする時の鶏の声のつらさなどどうてことないわ」

と和歌を詠んだ。

戻って報告したら

気のきいたやつだと誉め領地を与えたといいます。

それから、面白い人物だと好奇心から、

彼を古語辞典で調べると、吉田兼好の徒然草にエピソードありとありました。

徒然草を探して読んだらありました。

御徳大寺家の邸宅の屋根に、

鳶(とび)を止まらせないために、縄が張られていました。

それを見た西行法師は

「鳶が飛んで来たって、それほど気になされなくてもいいのに。

この邸のお方は、その程度の狭い心の持ち主だったのか」と述べたそうです。

吉田兼好は、綾小路宮のお住まいにも同じように縄が張られているのを見て、

「やっぱりここのお方も同じなのだなあ」と思った。

しかし、通りかかった人に聞くと、

「宮様は鳥が飛んできて池の蛙を取ってしまうのをご覧になり、かわいそうだと思われてこんな縄をお張りになったのだよ」

と聞かされいたく感心し、
先の御徳大寺の場合も
何か理由があってのことかもしれないと考えた。
(徒然草第10段)

どんなことでも、一面だけを見て、思い込みだけで判断してはならないと説いていました。

西行法師さん分かりましたか。

(西行法師は平安時代後期の歌人。武士の家に生まれたが23歳で出家して僧になり、修行のために諸国を旅した。
後世、松尾芭蕉の旅の手本となった人。
私の生まれた月日に72歳で亡くなっているので親しみを感じていた)

私も反省して、

「何か理由があって、こういうことをするのだろうか」

と考えるようにします。

吉田兼好さまへ




合掌



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