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2018年08月10日00:40

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しけん

幼稚園の終わり頃、「しけん」が行われた。園庭に、木の机と木の椅子が並べられた。机は二人掛けで、間に仕切り壁がついていた。
わたしはまるで学校みたい!とワクワクした。そして内容は忘れたけれど、なんだか単純で不思議な問題を解いた。後で思うと、それは知能検査だったのだと思う。

おばあちゃんの家で「しけん受けたんよ!」と嬉しそうに報告すると、「あらテスト受けたんかな」と言われて、「テストじゃない、しけん!」と言い返した。

ところで、その結果は誰が把握しているものなんだろう。学校の先生だろうか。たまに自分の知能指数を言っている人がいるが、余程すごい人にだけ知らせることになっているのだろうか。

わたしが小学校に入る前に、普通学級で大丈夫かどうか親は学校に相談したらしい。でも知能指数は知らなくて、普段のわたしのポワンとした様子を見て心配したらしい。「まあ、そこまでじゃないでしょう」と言われたそうだ。
実際、学校の勉強には困らなかった。

学校で行う予防接種の問診票で、最初に「他の子どもと比べてひどい遅れがありますか」という質問が、当時の岡山県のものにはあった。
わたしは5年生まで「はい」に丸をつけられていた。
後で親に聞くと、「動作が遅かったから」と言っていた。わたしは「知恵おくれ」だからだと思っていた。

テレビで知的障害者の方が出ていると、恥ずかしいような、微妙な気持ちになる。本当はお前はあちら側じゃないのかと見せつけられている感じ。自分もそんなに変わらないのにこちら側から哀れんでいるような気持ち悪さ。

彼らと自分とで、何が違うのかと思う。彼らより自分のほうが賢いとは全然思わない。
わたしは学校の勉強に支障がなかったのだが、そんなのは頭が良いとか悪いとか、関係ない。結局勉強の向き不向きだけで、たまたまこちら側に分けられただけ。

現在に至るまで、「普通の人」のふりをして暮らしている感じがずっとある。「自分は普通だ」などとは夢にも思わない。では何なのかというと、よくわからないのだけど。

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