わが郷里は、岡山県吉備郡足守町というところで、木下
藩2万五千石の陣屋町です。今は、岡山市に合併。
木下という名前は、木下藤吉郎から来ています。
「ねね」の兄さんが初代の藩主です。
古く律令制の頃から、足守川沿いに条里制の田畑が広が
っています。
その足守川は、秀吉が備中高松城を水攻めにした時に使
われた川です。
そのあたり、地名としてはありませんが、国宝吉備津神
社、備中国分寺のある総社、吉備路、そして今回大水害
にあった倉敷市に合併されている「真備町」などを含め
て、「吉備平野」と呼べないことはないでしょう。
足守、総社、真備あたりの北側は「吉備高原」と呼ばれ
ています。
川が溢れれれば、水のたまりやすい地形です。
秀吉は高松城の周りに堤防を築き、足守川の堤防を切っ
ています。
真備町でも、水害防止に川の付け替え工事が計画されて
いたそうですが、秀吉にように「早くやらんとあきまへ
んなあ」
残された我々は、亡くなられた方々におわびするととも
に、早く工事をせなあかんでしょう!
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