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2018年06月27日22:26

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反射・無意識・本能・理想・思想・修行。


「自分のこと」って、意外と・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

自分で わかってない、っていうか何と言うか。

それどころか

全然知らないんじゃないか?自分がどんな奴なのか俺って。


などと、初めて思った。


自分を、突き放した目で多少遠くから眺めてみると、

それはけっこうグロテスクな感じだった。


多かれ少なかれ、誰でもそうだと思うんだけど、

自分自身の持つ「理想」通りには生きられてない・・・よね?


こういうのがモラル的に正しい、とか、

こういう風に生きるのがカッコイイとか、

こうありたい、みたな「理想」を持っていながら、

普段の我々の行動って、

「反射」見たいな感じで、ほとんど考えずに動いている場合が

圧倒的に多いと思う。


何をするにしてもそうで、

例えば「曲」を作っているときでもそうだ。

その時そのときの「反射」で作っている。

この音がいい、とか、この言葉が合う!とかっていう意味の「反射」だが。

スピーディーにそのときの感情をカタチにしていかなければ「曲」なんて一生出来やしないので、

この作業は「急を要する」のだ。だから「反射的」な作業になる。

ステージで、ライヴを演っているときもそうで、

ほとんど何も「考えて」いない。


「反射」なんてものは、制御不可能だ。

だから大局的に考えれば結局、自分の行動さえ、自分で把握不可能だったりする。

そう考えること自体パラノイアックですらあるが、

だからこそ、そんな自分を突き放して、距離を置いて見た時に、

「まるで他人」のように映るのだろう。

僕は僕であって、でも同時に僕じゃないのだ。


「反射」とはつまり、「無意識」ということでもあろう。

「私の意識」が存在しない「私」とは?

ちょっとワケがわからなくなってきたが、

願わくば

なるべく、「反射」とか、「無意識」とか、「本能」とかで生きまい。

生きまい、というのはつまり、

そんな風に生きるのはなるべく避けよう、という意味だ。


私は私の「思想」と「理想」のもとに行動するし、そうありたいと願う。


「反射」なんて、そんな昆虫みたいなこと、やめよう。(昆虫は昆虫で美しいのだが、それでも。)


そして私はもっと、他人に対して優しくなろう。


自分に、どこか(他人に対して)冷たいところがある、と気付いてゾッとしたのだ。



優しくなろう、優しくなろう。


そしてそのために、


強くなろう。




ひぃ。


スタジオでのバンド練習もマゾ的でそういう要素あるのだけれど

・・・・・・・・・・・人生ってやっぱ、「修行」なんじゃねえの?




追伸


本日の結論は少し哀しかった。



暗転



もう寝る。



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