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2018年06月19日07:10

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引き戻されて 2

東京での下宿生活で仲良く付き合っていた隣の母息子3人たちから無視されるようになり、やがて彼らが引っ越していなくなってから1年半後だったと思う、日本を後にしたのは。
はいと頷くだけのしおらしい娘が豹変したってことか。

横浜から出発、イランまで船。英国に向かって主人と一緒にイランの港からヒッチハイクでテヘランに。
テヘランからは汽車でロシアに入りモスクワから再び汽車でヘルシンキに。
ヘルシンキから英国まではヒッチハイク。
小さなテントでキャンプしながらのヒッチハイクだった。
ともかくなんとか安くあげようという旅だった。

英国についてしばらくは主人の父親の家に同居。
その家には主人の父親、伯父、弟が住んでいた。

そこで暮らしている頃も私は「はいはい」を続けていた。
とてもお利口さんな娘のつもりだったのだ。
食事後義父に美味しかったかと尋ねられると「はい」と答え、近所に出かけて戻ってくると楽しかったかと訊かれ「はい」と答えていた。
そんなある日主人に注意された。
「はい」だけでは失礼だよ、「はい、ありがとう」と応えるべきだよと。
それはピンとこなかった。
身につくまで時間がかかった。
それほど深く染み込んでいた概念だったというわけ。

が今回書きたいのは日記レッドリバーロックを読み返すうちにもうひとつ気が付いたことがあった、そのこと。
それは一体あの頃何を考えてどんな心境で暮らしていたのだろうかと、それが気になりだしてから気が付いたことだった。

振り返ってみると、あの頃の私は父や叔父に対する反抗心でいっぱいだったように思う。
中身はちっとも素直でもなく従順でもなかった。
ここは多くの当時の若者と似たり寄ったりかもしれない。
言わせてもらえば周りの威圧的な大人に対する疑問でいっぱいだった。
彼らの口にする道徳という言葉が嫌いで、なんと不道徳な響きのする言葉だろうと思っていたりもした。
なので道徳的な(と当時の大人は言う)見合い結婚は嫌、お勤めも嫌。
じゃあ何をしたいのかと問われれば、目標も何もなかった。

正直に言えば恥ずかしながら猫のようにのらりくらりと暮らしたかった。
言っちゃあなんだが、しおらしく「はい」と返事する割にはどうしょうもない娘だったってことになる。

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