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2018年05月10日13:55

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S園と全生園の混同例

  僕も入り、S園にかなりが行っていた福祉会。77年夏、全生園にも行き、交流合宿。そうしたら、全員ではないが、かなりの会員が「人々が感染されるのを恐れて、ハンセン氏病患者を隔離した」と罪悪感も絡んだ話をやり出し、「それ故に、感染を恐れられ、嫌われた声の歴史を残さないといけない」と言い出す人もおり、一時は世田谷の区民センターで市民相手にそのような事を話す会をしたほどである。それを聞き、「健全者が患者を隔離した」と思い込んだ身障運動家もいた事も思い出される。
  でも、以上の見方は大間違いだった事を僕は後年知った。戦後のらい予防法の事は置いておいても、戦前の隔離は帝国政府の感染の過度な宣伝による隔離工作。又、明治以前は、イエ制度による排除という、これも難しい問題があった。それらは77年当時も明らかにされていた。感染の事にこだわる事は、一種の偏見であり、それを広める事は差別を再生産させる事にもなるわけだ。してはいけない事である。
  ところで、S園ではかなりの職員たちが「園児や園生を厳しい状況に追いやっているのは我々健全者だ。介護とか、知的障碍児の世話を面倒くさがり、誰もしないから、施設みたいな所に隔離されているのだ」と述べていた。更には、同様の見方をしたボランティアの人たちも多かった。
  今の僕が気が付くに、S園職員などの園児への見方をそのまま、冒頭に述べた人たちはハンセン氏病関係に当てはめていただけではないのか。介護や世話を「感染恐怖」に置き換えていただけで。それでやっと理解できる。
  S園は創立期は勿論、77年前後も世間や訪問者への働きかけが強烈で、いわゆるユングの説くような深層心理にまで食い込むような話をして、心に焼き尽くさせていた。それは良いが、そのような人たちが全生園に行っても、元患者たちの話を聞いてもまともに理解できず、S園風にアレンジして、ハンセン氏病に対する一種のフィクションみたいな事に作り替えて、理解してしまったようだ。無論、他にも。例えば、僕は全生園でも医者や元患者の話はまともに聞けず、S園の事ばかり考えていた。元患者たちにS園の話ばかりしていたボランティアもいた。当然、元患者は返事に困るわけだ。失敗したのも当然である。
  その福祉会の人たちはその後もS園にこだわり続けている。僕もそうである。それも僕にとっての一種の運命だと悟り、以後はS園の経験を生かしていく事を決めたわけである。
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