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2018年05月09日02:43

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レッドリバーロック

何年か一度里帰りすると、必ず帰りの成田飛行場で買い物する。
あと何年か来れないのだと思うと、どうしょうもなく寂しく何か買いたくなるのだった。
そして買うのは単行本や明太子だったりCDだったり。

つい先日そんな風にして昔成田で買ったCDを取り出して聞いてみた。
あまり聞くこともなかったロックンロール集。
2番目に流れたレッドリバーロックで突然、東京の下宿時代に引き戻されてしまった。

1965年頃、20〜22才まで住んだ下宿先。
当時下宿といえば一部屋でキッチン&トイレは共同。
洗濯もキッチンで手洗い。
風呂はもちろん銭湯。
なんとも素朴だった。
部屋は階下に4部屋、2階に3部屋、だったと思う。
下宿人はほとんどが学生。
私は階下の一番奥の部屋、絵描きの親友が見つけてくれた。
私のすぐ隣には大学生の男性が二人共同生活していた。
九州男児だった。
が、ある日その人たちが引っ越して代わりに母親と息子二人の家族が入ってきた。
長男は夜間の大学生、次男は夜間の高校生、二人とも昼間はアルバイト。
そして右手がちょっと不自由そうな母親の3人だった。

非常に珍しいケースだったと思うが、私はぼんやりな性格で別に不思議にも思わなかったのだ。
そしてこの家族と大変親しく交際するようになっていったのだ。
ある日、母親がお茶に招いてくれそれ以来ちょいちょいお呼ばれし、仲良くなっていった。
少しずつ母親であるその女性が話してくれたことによると、なんでも保証人になってそのために家も財産も根こそぎ失ってしまったのだとか。
それまでは奥の家と呼ばれていたほど門から玄関まで距離のある邸宅に住んでいたとのことだった。
息子たちは母親をお母様と呼んでいた。
そしてその下宿先では交代で廊下、キッチン等の床拭きをしなければならないのだったが、隣の家族は母親の代わりに息子たちがせっせと掃除をした。

ある日びっくりした。
長男が私を「お姉さん」と呼んだのだ。
なんか酒場の女性を呼んでいるような、それに私よりも2歳くらい年上なのになぜお姉さんなのかと怪訝に思った。
すると私の表情を読み取ったのか、彼らの母親が「私たちの階級では娘さんをお姉さんと呼ぶのよ」と教えられた。
へーえ、そうなんだ。
階級が違うとそうなんだ。

ともかく仲の良い母息子たち。
私たちはどんどん仲良くなっていった。

後に口も聞いてもらえなくなるとは想像もしていなかった。




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