天下統一を果たした秀吉は朝鮮、中国への侵攻を試みる。
(文禄・慶長の役)
しかし秀吉を総大将とする連合軍は
明と李朝連合軍の前に大敗。
このとき
大陸への足掛かりとして築いたのが
名護屋城である。
それで
この城は一時的なものだとの先入観があり
そんな大規模なものだとは考えていなかった。
がしかし行ってみて驚いた。
大阪城にもひけを取らないような規模で
城下に町人たちも集めてすまわせ、街が作られた。
また大名たちの武家屋敷(陣)も城を取り巻く周りに
地形を利用して築かせる壮大なものであった。
すぐ近くの道の駅「桃山天下一」で車中泊の朝
城跡を散策し、その後名護屋城博物館も見学し
次の目的地に向かった。
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