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2018年02月11日12:17

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良寛と私

私のペンネームは
「良寛地蔵」
です。
説明はいつの日か。
ただ、いつも困った時に現れて助けてくれるのです。


良寛はよくいじめにあったという。

地蔵堂(燕市)を流れる西川の渡し舟の船頭が良寛はどんな場合でも怒ることはないと聞き、

ある日、良寛一人が舟の客だったとき、川舟をわざと大きく揺さぶり、

良寛を川の中に落としてしまいました。

そして、危うく溺れそうになった良寛に手を貸して舟に引き揚げました。

良寛は怒りもせず船頭に三拝九拝し、

「あなたのおかげで命拾いをしました」と

丁重にお礼を言って立ち去ったといいます。


船頭は良寛が怒り出すでもなく、去ってしまったあっけなさに、

深く反省し、後で良寛の庵を訪れて深く詫びたといいます。

いじめられても、なお人を思いやる良寛の逸話です。

(地蔵堂と良寛も気になります)

(イエスキリストも十字架ではりつけにあった時、その人々を許すと言いました。

罪をにくんで人を憎まずに似ていますね。)

『報われなくとも』

「もともと私は、托鉢

(たくはつ)行脚を

修行とする僧である。


だからどうして、一つの所にとどまってのんびりできようか。

仏の教えに合い、悟りの境地に入らないうちは、死ぬまで決して修行をやめないだろう」

(詩75)


たとえ報われなくとも、仏法によってこの世を救済しようという


「こころざしを」
持って生きた僧と言われています。

遣唐船に乗って長安に行き仏法を学んだ空海や最澄。

その長安に40年前、

書を学びに行った時に

古代の遣唐使たちの苦労話しを知りました。

よくぞ、こんなシルクロードの出発地にまでたどり着いて、三蔵法師が持ち帰った仏教を
学んだものだと。


三蔵法師がインドに行きお釈迦さんの教えを紙がない時代なので竹の皮に書いて持ち帰り、それを、長安の寺で漢字に翻訳したのが仏教の元です。

その竹の皮を手に取らせて頂き、三蔵法師の温もりを感じました。

今では門外不出の宝です、あの時は日本人が来たのは珍しいと何百人に囲まれましたから、その勢いで手にとることができました。

日本のお坊さんはそれらのお経を写して持ち帰ったのです。
漢詩もあったでしょう。
それらが、書道の手本になったのです。

碑林と言って大きな石碑に著名な書を掘った碑が、何千とあります。

私もその中を散策して、好きな石碑を模写してきました。

沢山の筆や硯も頂いた想いでがあります。

鎌倉や江戸時代の名僧たちはこの石碑や経本を見たら涙して喜んだだろうなどと、

胸が熱く感じたものでした。

特に詩や書が好きな

良寛さんだったらどんなに喜んだだろうか。

時代を越えて五合庵で書をしたり語り合い
呑み明かしたいものです。

合掌
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