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2018年02月07日01:59

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ひなたぼっこ

今日は古典や仏教から来た、言葉を紹介したいと思います。

『ひとりぼっち』

平安時代、御白河天皇が「意のごとくならざるもの」の代表として

「山法師」をあげています。

当時の法師には乱暴狼藉ものが多かったようです。

この「法師」がなまったものが

「ぼっち」で、ひとりぼっちは

「孤独法師(ひとりぼっち)」のことだといわれています。

また、僧侶のように頭を丸めている男の子が、乱暴もので、手に負えないことから

母親に叱られて、


ションボリ沈んでいるさまを

「ひとりぼっち」と呼ぶようになったといいます。

『日なたぼっこ』

古代では「日なたぼこり」

と呼ばれていました。
平安時代の今昔物語に

『春の節になりて、

日うららかにて、


日なたぼこりもせむ』

とあります。

日なたは「日向」と書きひのあたる方向、場所を表す言葉です。

ぼこりは「誇り」のことですが、当時は心が浮き浮きする、心が晴れ晴れする時にも使われていました。

日が当たる場所で、心が晴れ晴れした時に


「日なたぼっこ」と使われたようです。

昨日はたくさんの

お年寄りが


体重計りに1階フロア

下りて来た時


日なたぼっこ

していました。



『皮肉(ひにく)』

遠回しの非難、他のことにかこつけて、あてこすりすることをいいます。

中国の禅僧の達磨大師(だるまたいし)が

弟子の意見に対して、

考えが浅い時には、

「お前が得たものは皮だ」

とか「お前が得たものは肉だ」

と手厳しく批評したことから、

皮肉が出来たといわれています。

また、よい意見の時には

「骨を得た」と評したそうです。


今でも使っていますね。

『火の車』

これは仏教用語です。

地獄にある火が燃え盛っている車を火の車と呼んでいました。

地獄の番人は、罪深き亡者(もうじゃ)たちをこの車に乗せて苦しめたといいます。

「この世は常に苦悩に

満ち、燃え盛っている

家屋のようなもの」

との仏教思想から、

単に経済事情が苦しいことを表すようになったといいます。


古典を読んでいると、
いろいろ気づかされ、ます。

今日もケアマネ研修に

行きます。

あと5回で修了式です。

頑張ります。

合掌






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