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2017年12月01日02:49

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命懸けの百人一首の闘い

11月に入って来たおばあさんに頼まれて書道教えました。

とても上手で200人いる利用者の中で一、二番に入るかも。

昨日そのおばあさんから、今度百人一首に挑戦したいから

お手本頼みますと

言われた。


分かりました。
百人一首は恋歌が多いけどいいの?

何でもいいよ。

それでは百人一首の中に、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の戦い

のような二人の歌があるからそれを書こうか?

960年、平安時代にインテリといわれた
村上天皇が主催した

宮中歌合(うたあ)わせ がありました。

紅白歌合戦です。

全国から選抜された歌人と宮中にいる歌人が
東西に別れ天皇の
御前で競うのです。

摂津(大阪、兵庫)から選ばれた役人の
壬生忠見(みぶのただみ)がいました。

精一杯の衣裳をして宮中にあがりました。

その姿に田舎装束と笑われたという。

決められた相手は当時の有名な歌人、

平兼盛(たいらのかねもり)でした。

出されたお題が

「気づかれた恋心」

『忍ぶれど

色に出(い)でにけり

わが恋は

ものや思ふと

人の問ふまで』

(平兼盛)

誰にも知られないように隠していたのに、

私の恋心は顔に出てしまったようだ。

恋に悩んでいるのかと人に問われるほどに。



『恋すてふ

わが名はまだき

立ちにけり

人知れずこそ

思いそめしか』

(壬生忠見)

恋をしているという
私のうわさが、

早くも世間に流れて
しまった。

誰にも知られないように密かに思い始めたばかりだというのに。

さて、判決は?

審判団は甲乙つけがたしとして、帝に決めて頂くことにした。

帝は決めたというより、平兼盛の歌を小さな声で読み直したにすぎないのを、

平兼盛の勝ちと発表したようです。

喜んだ平兼盛は、あとは御免と帰ってしまったといいます。

負けた壬生忠見は

故郷に帰り、よほど悔しかったのか、何も食べずに亡くなったといいます。


それを聞いた庶民は壬生の歌を褒め称えたところ百人一首にも取り上げられるようになったといいます。


剣の御前試合がありますが、


歌の御前試合も



同じように命懸けなんですね。



皆様はどちらに軍配をあげますか?




そんな心でお手本


書きます。




合掌

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