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2017年11月24日12:55

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【映画】悪魔祓い、聖なる儀式

映画のチラシを見て、目が点になった。エクソシストの「ドキュメンタリー」って、何?
インターネットで映画の予告編を見て、さらに目が点になる。エクソシストの神父が携帯電話越しに「悪魔よ、去れ!」と言っていた。え〜、 悪魔って電話で頼めば退散してくれるの?!
ヘタなコメディよりよっぽど笑えるかも・・・と、不謹慎な気持ちで映画館へ。

突っ込みどころはたくさんある。塩水もとい聖水をあんなにまき散らしたら周囲がベタベタになって掃除が大変ではないだろうか。親の信仰が薄いために子供が不登校になるというなら、日本人の子供はほとんどみんな不登校だろう。「何回も通っているのに神父が除霊をしてくれない」と愚痴るパンクなお兄さん、まずはクスリを止めなさいっ!
悪魔に憑りつかれている人々のリアクションがほぼ共通している点も、ある意味突っ込みどころだろう。キリスト教的価値観の中で「悪魔に憑りつかれた人」のステレオタイプがあって、それが何百年もの時間をかけてキリスト教文化の人々のDNAに埋め込まれていった結果が表出されているのだとすると、そういう価値観を植え付ける宗教自体が悪魔ではないか。

この映画は意外にも奥が深い。
悪魔に憑りつかれているある女性の「的確な言葉が欲しい」という言葉が非常に印象深かった。みんな、迷っているのだ。価値観が多様化し、善悪の境界があいまいになっている今、何を心の支えに生きていけばよいのだろうか。目標があればそれに向かって頑張ることもできるが、目標を見失ったら頑張ることなどできはしない。答えを求めてがむしゃらに動き回れば息が切れる。かといって慎重になりすぎれば、精神的に疲弊する。みんな、疲れ切っている。
知識や技術、あるいはお金で解決できない問題にぶつかったとき、人々は宗教に救いを求める。ラストで「エクソシストの需要が急増している」という衝撃的なテロップが流れた。キリスト教文化圏内に特化した話であるならば、それはキリスト教の限界ということではないか?
日本でも同じような現象(悪霊や狐を追い払ってほしいという需要)が起きているのだとしたら・・・便利さを追求するあまり大切な何かを失った人間が、大きなしっぺ返しを食らう時が来ているということになるのだろうか。



監督:フェデリカ・ディ・ジャコモ
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