言うまでもなく、
この私の「身体」というものは、ひとつの閉じた小宇宙である。
(「私」だけではなく、「我々」なのだが、とりあえずここでは単数形で話す。)
無数の細菌やバクテリアやヴィルスや、
微小な、微小な、目に見えないサイズの生物達が私の中で、
ものすごい数、生きている。
この「私」すら生きている・・・ということを彼らは認識していないかもしれない。
私の体調が悪いとき、彼らは
「今日は何だか天候が荒れてるな」とか思っている。
つまり、「私」は彼らにとって「環境」でしかない。
そして彼ら(バクテリア等)同士で衝突したり、
手を組んだり、愛し合ったり、働きに行ったり、面接したり、消滅したり、再出現したり、トラック運転したり、
誰かを弔ったり、孤独感にさい悩まされたり、電話で話したり、バンドを組んだり、メシを喰ったり・・・・・・
している。
彼らにとって、私はただの「宇宙」である。
それ以上でもそれ以下でもなし。
それで、ふと思った・・・・・・・っていうか
ある朝、変にリアルに実感し、確信したのだが、
我々の考える「外宇宙」というものは
きっと、超・超・超・巨大な「誰かの身体」なのだ。
宇宙というものは、もうひとつ大きなスケールで見たら
生きて動いて生活している「誰か」、個人なのだ。
その個人、仮に名前を「宇宙さん」としよう、
「宇宙さん」から見れば我々のごときは、
目に見えない微小な、微小な、
バクテリアのごとき、細菌のごとき存在である。
そして我々・・・・・いや、「私」は日々、懊悩しながら暮らしている。
こーゆー発想って、特に珍奇でもなく、また斬新でもなくて、
仏教で言う「曼荼羅」みたいなものかも知れないね。
それとか、「フラクタル理論」とかさ。
そーゆーのに、近いかも。
でも、もし本当にそうだったら面白いんだけど、
我々にはどう足掻いても、知る術が、ない。
暗転
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