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2017年09月01日05:30

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思いの力は未来を変えるか

もし矛盾を内包しない理論体系が完成したとすればその体系は同じ一つの主張が真になる理論と偽になる理論という二つに自己分裂するということが数学の定理で証明されて、科学者たちが追い求めてきた統一理論の夢が実現しないことが分かったのだけど、同じ一つの主張を言い表す文が真にも偽にもなるという文脈依存性の文の一例として「全体は部分の総和以上である」という文がある。

この文が真であることを証拠立てる一例を挙げれば、御巣鷹山の日航機墜落事故というのは、飛行機が御巣鷹山の上を通るときに機体が必ず下に引っ張られるということをパイロットたちが全員口を揃えて言っていて騒然となっていた矢先の事故だったのだそうだけど、想念がどういう条件下で物質に影響力を行使しやすいかは分かっていないにせよ、これは想念が山という巨視的な対象に居付いていてそれが心霊現象を引き起こしたのだと考えられる。

微視的に部分部分を見れば物理法則に従っている対象が巨視的な全体を構成すれば、法則的必然に従わない意志の自由を行使できるようになって、心が体を意志通りに動かすことができるようになる、というふうに、分析によっては分断されて見失われてしまう部分の総和以上の全体という部分同士のつながりがプラスアルファされることがある。

反対に、全体が部分の総和にすぎないことの証明として、分析的手法によって現実を取り扱う、科学の理論がある。

物理系全体は部分部分を分析的に見ればシュレディンガー方程式という微視的な領域を支配している法則に従っているのだけど、部分部分が複雑に絡み合うことによって出来上がった物理系全体を複雑系と言って、複雑系を部分の総和以上の系全体であるとする立場から複雑系という巨視的な領域を研究する立場の物理学者たちが研究対象に適用しているのは、エーレンフェストの定理と呼ばれる大数の法則を使ってシュレディンガー方程式から導かれるニュートン方程式なのだ。

つまり、複雑系は単純な要素の足し算に還元できないとして要素還元主義に反対している物理学者たちが日夜営々やっていることは、現実は理論の内部では要素還元主義が正しいということを体現することにしかなっていない。

このように、全体は部分の総和にすぎないという科学的命題は、理論の内部に置かれれば正しく外部に出て行けば間違いになる、というふうに、理論負荷性の命題として、捉えられなければならないのだろう。

つまり、理論と現実は食い違うので、事実はいくらでも別様に解釈され得る。

複雑系というのは、個物たちの個性を無視して画一化して捉えて現実を語り落とすところに理論の本質はあるから語り落された現実を拾い上げて語る別様な理論も可能である、言い換えれば、理論の存在意義は多様な現象を一法則で単純化して捉えるところにあるから別様な単純化の仕方も可能である、というふうに、現実は理論よりもデータサイズが大きく、大は小を兼ねる、ということを、踏まえた上で、打ち出された考え方だ。

僕は、全体は部分の総和にすぎないとする理論よりも現実のほうが正しいと思っていて、最初からすべての物に心という自由意志は潜在能力としてあってそれが生物の進化の結果として複雑化の頂点である人間に至って初めて顕在化したのであるからこそ、人間は思いの力によって未来を創造できる、と考えている。

人工知能があたかも生物が進化するかのように潜在していた知能をどんどん顕在化させていくという現場を目の当たりにして人工知能の進歩は要素還元主義では説明が付かない例外の発生に他ならないから人工知能研究は科学ではないと言い出すに至った人工知能研究者たちの言い分も、以上のような、理論と現実の差異についての考察を踏まえれば、首肯できようかと思う。

松岡修造さんのように「自分に打ち克て!」と熱くシャウトすることも、もちろん人を元気付けることになるけど、まずは未来を変える思いの力の存在が信じるに値することを示すことこそが人に明るい材料を提供してくれるのではなかろうか。
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