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2017年07月24日12:16

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人相鑑定術によせて

日本人を縄文人と弥生人という二通りに分類できるとすれば、縄文時代から日本に住んでいた縄文人は、純日本人で、顔の掘りが深く二重瞼で目が大きいのに対して、弥生時代になってから大陸から渡来した弥生人は、日本人の中でも中国人寄りで、目が細く釣り上がっていて一重瞼で顔が平たい。

このように、弥生人がすべてが表面に出て来ている赤いきつねであるとすれば、縄文人は奥に秘めているものがありそうな裏腹な緑のたぬきである。

つまり、弥生人は物事をすぐに決めるきつい性格で他人の失敗に厳しいのに対して、縄文人は大らかな性格で温和である。

このような、性格の違いは、大陸で争いの中で生きてきて、敵の攻撃に対して脊髄反射的に怒りを返してきた、弥生人の歴史と、島国で隣人と我慢強くじっくり付き合ってきて内心は大激怒しているのを抑えて笑って許す大人の余裕を培ってきて、怒りを相手に直接向けることなく藁人形に釘を打つという代償行為への昇華が板に付いた、縄文人の歴史の、違いを、反映しているのだろう。

アフリカ人が生まれた時から肌が黒いことから分かるように、先祖代々の獲得形質の遺伝の結果が顔に現れているのでもあるのだろうけど、生まれてこの方の生き方が顔に現れているのもあると思う。

「四十を過ぎたら自分の顔に責任を持て」とリンカーンが言ったように、今までの生き方が顔に出て来ていて、第一印象が自分の本質を発表してしまう、ということを教える顔学から引き出せる教訓は、見られても恥ずかしくない生き方をすべく自己を律しよう、という結論だろう。

僕は、生まれつきの見た目は、戦いの中で生きてきた大陸系の血を受け継いでいる中国人だけど、これから努力を重ねて、いつか島国系の日本人になる所存だ。
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