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2017年03月24日04:15

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考え方の論理

頭の働き方の個性は百人百様で、世の中には驚くような考え方をする人がいる。

電球を発明したことで有名なエジソンは、小さい頃から目の付け所が違っていて、小学一年の時に算数で教わった1+1=2に納得行かなくて反論したために授業を妨害されたと感じて怒った担任の教師の無理解によって退学させられた、というエピソードがある。

以下に、エジソン少年の思考を追思考するために、なぜ1+1=2なのかという問いへの答えを述べることにする。

数学者と物理学者と哲学者とでは答えが違う。

数学者ならば、数直線の概念を持ち出して、物差しの0から右に1だけ進んでもう一回1だけ進めば合計右に2だけ進んだことになるから1+1=2は数の定義だ、と答える。

物理学者ならば、人間1人と人間1人が集合したら合計人間2人だとかリンゴ1個とリンゴ1個を足し合わせたら合計リンゴ2個だとかという具体的な個物に関する現実から抽象してきた真実が1+1=2だ、と答える。

哲学者ならば、同じ人間も同じリンゴも存在しないようにすべての個物はオンリーワンの存在でちょっとづつ違うのに1=1というふうに厳密に同じものが2つ存在すると考える時点で数学の概念と実際との乖離があるのだからもしも実際に即して考えるならば1⁺1は2でないと言ったエジソン少年も正しい、と答える。

粘土1塊と粘土1塊をくっつけたら粘土1塊になるから1⁺1=1だと反論したエジソン少年は、違うものを同じと見なす思考が数学の前提にあるとすれば粘土にも大きさが2倍違っていても同じと見なす思考を適用できる、という論理に従って、数学に忠実に則って数学を否定する結論を導き出して見せただけなのだ。

このように、真実が抽象されたということは、具体的な現実が捨象されたということで、1+1=2という理論によって語り落された現実を拾い上げて語る1⁺1=1という別様な理論も可能である、ということを、エジソン少年は、示したことになる。

この理論はこの現象を説明できて、その理論はその現象を説明できて、あの理論はあの現象を説明できて、以下同文である、というふうに、百出し得る理論を全部、一つの無矛盾な体系全体の中に組み込むような、統一理論を、もしも完成させたとすれば、それは必ず同じ一つの主張が真であるような理論と偽であるような理論という二つに内部分裂する、ということが、実は数学の定理としても証明されている。

個性の多様性を無視して画一化して捉えることによって現実というデータを圧縮するところに理論の存在意義があって、データの圧縮こそが理解だから、もしも現実というデータと同サイズの圧縮なしの理論を展開させたとすれば、それは対象についての何らの理解をもたらす説明もできない、という意味で、統一理論は完成するまでに理論と言えない代物になってしまうのだ。

このように、現実は相互に排他的な無数の理解の仕方を許す不思議なテキストであるということが原理的に言えることが分かれば、他者を他者として尊重して、自分とは違う考え方を認める、ということも、出来やすくなるのではなかろうか。

逆説的なことを言っているように聞こえただろうけど、天才エジソンが何に引っ掛かってつまづいたのかを理解するために必要と思われることを言ったまでである。

圧倒的大多数の人々が当たり前のこととして疑問視することなく通りすぎる所で立ち止まって愚図愚図考える分からず屋には分からず屋なりの言い分があるのだ。
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