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2017年03月06日10:11

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人生意気に感ず「チュックボール全国大会で。学徒壮行会の江橋慎四郎氏。慎太郎の異様な姿」

◇第23回全日本チュックボール選手権大会がヤマト市民体育館前橋で行われた。私は会長として次のように挨拶した。「江橋前会長からバトンを受け継いで責任を感じています。この平和的なスポーツを皆さんと力を合わせて発展させたいと思います」
 前会長とは、江橋慎四郎東大名誉教授のことである。ご高齢であること及び、私が大学の後輩でもあることから「中村君が後を引き継いでほしい」との先生の御考えになったと思われる。このスポーツは、ハンドボールから派生したと言われ、歴史は浅く余りポピュラーではない。2年程前、台湾の世界会議に出席したが、アジア、アフリカ、南米などの新興国に加盟国が多い。挨拶で「責任」を口にしたのは、全日本大会というには参加チームが少なく、このスポーツ発展のために私の努力が足りないことを痛感したからである。
◇江橋慎四郎先生を紹介したい。多くのスポーツ関係の代表を務め活躍された方であるが、日本の近代史の重要な一コマが結びついておられる。それは、昭和18年10月21日のこと。文部省主催の出陣学徒壮行会が開かれた時、東条英機首相の激励に対し、東京帝大の学生として代表して答辞を述べたのが若き江橋慎四郎さんだった。「積年の忍苦の精神研鑽を挙げて・・・生等もとより生還を期せず」と元気の良い声を響かせる先生の姿を記録映画で観たことがある。私がこのことを聞こうとすると先生は語りたがらなかった。多くの学徒が無念の涙をのんで海に空に消えた。批判が強かった学徒出陣に先頭に立って協力せざるを得なかった複雑な思いがあるのだろうと思った。
◇先日(3日)、石原慎太郎元都知事が記者会見に臨んだ時の目の色は異様に感じられた。怯えた表情に見えたのだ。強気で鳴る、そして傲岸不遜の評もあるこの男も年のせいか、それとも心に疾(やま)しいものがあるのかと不思議なほどであった。
 そういえば「座して死を待つ」の発言は、百条委で不利なことを覚悟した上でのことであったかもしれない。この記者会見は、百条委員会で追及する委員たちにとっては格好の材料を提供したのではなかろうか。
 石原元知事は、小池さんの選挙のとき「厚化粧の女」と攻撃し、小池さんは「私は顔に痣(あざ)があるので厚化粧しているとやり返していた。この時は相当悔しかったのだろう。(読者に感謝)

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