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2017年02月10日21:47

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意志と表象としての世界

御巣鷹山の日航機墜落事故の時に、御巣鷹山の上を通る飛行機は必ず下に引っ張られるという噂がパイロットたちによって話されていたらしい。

御巣鷹山の上を通るパイロットたちの皆が口を揃えて、機体が下に引っ張られる、と訴えていて、ちょっとした騒ぎになっていた矢先の事故だったらしい。

想念はどういう条件下で物質に影響を及ぼしやすいか。

同一事情下では同一現象が再現されるという再現性は、この世にはないのだ、と僕は考えている。

小保方晴子さんによって200回以上再現されたはずのSTAP現象が公開実験では再現されなかったのだけど、生物学実験において再現性というのはそもそもないのではないか。

生物というのは無生物と違って心が意志通りに体を動かしているケースだけど、意志が科学の必然的法則の支配に従わない自由を行使し得るケースが稀にある。

例外のない規則はないと言われる通り、法則で説明できない例外が発生するケースが稀にある。

しかし、例外は発生するとは限らないので、宇宙のパワーを自由自在に操る術を身に付けさせると謳う新興宗教を信じて、世界を自分の思い通りにできる魔術を身に付けたと思い込んで、政治資金不正支出問題を記者会見の席で追及されるという目の前の現実を魔術的に消し去ろうとして泣き叫んだものの、感情をコントロールできない人と思われるに終わって恥を掻いた、元兵庫県議の野々村竜太郎さんのようなケースもある。

オカルト的なものに頼る人は、結局、何事もやってみなければ、できるかできないか、分からない、ということを、思い知らされるのだろう。

やればできるという根性論に基づいて竹槍でアメリカの戦闘機を撃墜しようとした日本人の竹槍戦法は失敗した。

理論と現実は違うというのも真実なのだろうけど、理論が予想する自分の能力の限界を突破するつもりで努力しても理論通りの結果にしかならないというのも真実なのだろう。

理論という自分で作った壁を超えられないところにこそ現実はある。

ときにはなんでもありのような気がして大胆不敵に、ときにはなんにもないと絶望して小心翼々と、振る舞っているうちに、人は期待しないことを覚えて、大人になっていくのだろう。
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