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2016年12月20日05:18

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浄土教とその実践

生体に関して「善は全ての条件が揃わねば生じないのに対して悪は一つでも条件が欠ければ生じてしまう」と医学で言われるけど、悪とは善の欠如のことで苦痛を意味する。

死とは全ての条件が欠落した最悪状態である。

つまり、生きることがどんなに苦痛でも、その状態は死んで落ちる地獄の苦しみに比べたら断然マシなのだ。

浄土から地獄へ釈迦が垂らした蜘蛛の糸につかまって登って行ったカンダタは、痛みを分かち合う精神をかなぐり捨てて、抜け駆けしようとして、後から登って来た地獄界の衆生たちを振り落とそうとしたために、蜘蛛の糸が切れて、元の地獄へ舞い落ちて、釈迦に溜め息を吐かせた。

我利我利の根性を克服して利他の精神で生きれば頼みの綱は切れないことを『蜘蛛の糸』で説いた芥川龍之介自身が生き地獄から抜け駆けしようとして自殺したことは、如何に我々衆生が地獄へ直行する行いを辞め難いかを、如何に世界が世界苦から救われ難いかを、物語っている。

浄土教とは、実は、我利我利の本性からの脱却を説く教えを実践しようとして努力することを通じて利他を実践し得ぬことを思い知らされるまでの過程を、教えたもので、他力の本願で助からねば自力の修行では助からぬ、ということを、すなわち人間は生きているうちにこの世の闇を打破する阿弥陀仏の光に照らされて地獄行き間違いなしの自分であるという真実を思い知らされて極楽浄土行きの確約をもらうのでなければ死ねば必ず地獄に落ちる、ということを、教えたものである。

人間として生まれてきて、浄土教に救いを求めて修行して、地獄行き間違いなしと極楽行き間違いなしという二つの真実が同時に明らかになる啓示体験の瞬間が訪れるまでは、生きとし生ける物は、この世で暗中模索し続ける、という明暗の二元論の教義体系を、法然から受け継いだ親鸞が、完成させたのである。
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