父の再婚相手から聞いた話なんだけど、幸せになる権利のない人間なんていない、というのは綺麗事で、幸せになろうとすること自体が心得違いなんだそうだ。
生きている意味なんてないけど、とにかく必死に生きるんだ、って。
精神や身体や知的に障害があっても、それでも必死に生きる。
その姿に、心打たれて、人は心動かされ励まされて生きるのだ。
だから、もしも障害者たちを見てヒトラーの思想が降りて来たような者がいたら、そいつは人間を表面的にしか見ていないサイコパスだ。
人は何のために生きているのか。
この問いは、努力すれば出来ることを努力しないで出来ないと言っている間は、直面し得ない問いだ。
生きるための苦しい努力の継続を開始してこそ初めて、生きることが自己目的的な活動であり得なくなるからだ。
頑張って生きてはいるけど、頑張れば生きていくことは出来るけど、生きている意味がない。
この事実を共有知とする者同士間にしか、心が触れ合うということは、あり得ないだろう。
誰とも心が触れ合わない人は、共感能力が欠如しているのではなく、オブラートに包まれていない剥き出しの現実に直面していないだけだ。
共感によってつながっている世界の住人たちの仲間入りをして初めて、たとえ生きることがろくでもないことでも、それでも生きることは素晴らしい、と言えるのではないか。
ログインしてコメントを確認・投稿する