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2016年11月07日19:39

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アカシックレコード

神経細胞たちが単細胞生物アメーバのように触手を四方八方に伸ばして連絡を取り合う連絡網が神経回路網である。

脳の神経回路を電気信号が通る度に反復学習の効果で通りやすくなっていくことによって記憶は蓄えられていく、と、従来は考えられていたのだけど、それだけでは記憶容量が足りなすぎることから、脳を構成している脳細胞一つ一つの遺伝子が記憶媒体の機能を担っていて、遺伝子へ記憶が書き込まれたり遺伝子から記憶が読み出されたりする、と、考えられるようになった。

アフリカ人は生まれた時から黒い、というふうに、獲得形質が遺伝することからも、遺伝子に記憶の仕組みがあることが分かる。

食べ物の遺伝子を分解せずにそのまま吸収するプラナリアという下等生物に、学習させて条件反射を付けたプラナリアをすり潰してバラバラの細胞レベルに分解して共食いさせれば、学習内容が受け継がれる、という実験結果も、遺伝子レベルの記憶の存在を証拠立てている。

脳も神経系もない単細胞生物ゾウリムシに、低い音と高い音を聞かせて、高い音の後だけに電気ショックを与える、ということを、繰り返したところ、低い音を聞かせても動かないのに高い音を聞かせたらその場から逃げ出すという条件付けられた反応が見られた、という実験結果も、遺伝子レベルの記憶の仕組みがあることの有力な証拠である。

同じく単細胞生物であるアメーバも、光刺激を何回も与えるうちに、最初のうちはその場で試行錯誤的にもじもじと動いてから逃げ出していたのに、段々と試行錯誤的なもじもじを経ずにすぐさま逃げ出せるようになった、という実験結果がある。

インフルエンザウイルスに一度感染したら同じインフルエンザウイルスに二度と感染しないという免疫の仕組みがあるのは、白血球細胞がアメーバのように動いて触手を伸ばしてウイルスを捕食すると同時に細胞内に取り込んだウイルスの情報をおのれの遺伝子に記録として残して対策を立てることができるからだ。

では、脳やプラナリアやゾウリムシやアメーバや白血球の遺伝子はどういう仕組みで記憶を形成できるのだろうか。

すべての記憶は遺伝子に先天的に書き込まれているという説が現時点で最有力であることは、遺伝子について記憶を後天的に書き換えることのできるどのような物質的な仕組みも考えようがないことを、示唆しているのだと思われる。

つまり、記憶の仕組みについては、物質的に考える限りは解明できないために、心によるテレパシーのような非物質的な遠距離通信を想定せざるを得ないのではないか。

したがって、記憶に関する僕の仮説は、およそ以下の通りである。

現在は、現在までの入力を反映する状態である、というふうに、世界は、過去を記録しているデータベースで、それに基づいて現在を出力していくものである、という意味で、アカシックレコードと呼ばれるのだけど、遺伝子は宇宙というアカシックレコードを記憶の倉庫にしていてそこからテレポーテーションのような遠隔操作によって記憶を読み出しているのではないか。

細胞は遺伝子によって形作られていて、生物は遺伝子を通じてアカシックレコードにアクセスしようとすれば意志次第でアクセスできて、生物は無生物が受けられる近接作用だけでなく全宇宙からの遠隔作用も受けようとすれば意志次第で受けられるのだとすれば、無生物の領域においては今から起きる事は今まで起きた事のみに起因することになるのに対して、生物は、原因なしに事を起こす能力がある、つまり、自由意志がある。

もしも物たちが自己組織化した結果としてそこに心が生じたのならば、本体から生じた結果である影が本体を動かす原因になり得ないのと同じく、心は物で出来た世界の事態の推移に何らの影響力も行使し得ないことになるのだけど、実際は、学校に遅刻しないように足を動かして走ったり、授業中に手を動かして挙手したり、心が意志通りに体を動かし得る、ということは、自己組織化以前である最初からすべての物に心という意志があって、それが万物を動かす原因となっていて、それは無生物においては潜在能力の段階で、それが生物に至って初めて顕在化したのではないか。

そのような、生きんとする意志のことを、アカシックレコードと言うのではないか。

受精卵細胞はどんな細胞にでも分化できるのに対して、分化後の体細胞は分化能を失うことが知られているのだけど、体細胞を一つ取り出してクローンを作るにはどうすればいいかと言えば、生死の境の崖っぷちに立たせることによって、生きんとする意志を刺激して死に物狂いにさせてやればいい。

栄養分を与えないで餓死寸前に追い込むなり物理的なストレスを与えて死の瀬戸際に追い込むなりすれば、火事場の馬鹿力を発揮して、分化が初期化して何にでもなれる万能細胞になるのだ。

このように、その気になりさえすれば、アカシックレコードという宇宙全体に遍在している無尽蔵のエネルギーが打ち出の小槌のように自分の中から出て来て、何でも出来る、という意味で、生命は無限の可能性を秘めている、と言えるのかもしれない。

アカシックレコードとは、宇宙全体に遍在している隠れた変数の変域の内のどの定数でも選び取れる生命の自由のことを、つまり自由意志のことを、言うのだろう。
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