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2016年10月02日22:02

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銅造宝篋印塔

宝篋印塔は「宝篋印陀羅尼経」という経典に基づいて造立された塔である。
本塔は江戸時代中期以降に流行した、屋根型の笠をもつ宝篋印塔で、時代性をよく表している。
本宝篋印塔は、高さ約8m。西村和泉守藤原政時が宝暦11年(1762)に鋳造した。
西村和泉守は、代々和泉守を名乗る江戸を代表する鋳物師で、多くの作例を残している。
なかでも本塔は区内に現存する銅造宝篋印塔の中でも最大のもので、近世中期の鋳物師の活動や鋳造技術を知る上でも貴重な遺品の一つである。
また、本塔の造立に際しては、台座に刻まれた銘文から、様々な職種や地域からの寄進が確認でき、浅草寺に対する信仰の広がりが示される。
安政2年(1855)の地震で本塔は被災したが、明治40年(1907)に日露戦争凱旋記念として修復されたもので、区の歴史を知る上でも貴重である。 

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