夏休みの終わり。
僕等はまるで木々にしがみついて鳴く蝉みたいに際限なく人生を
謳歌するみたいに懸命に、汗さえ流しながらも淡々と、
懐かしい人に会ったり海辺で考え事したり、忙しい中で昼寝したりして、
そうしながらも胸いっぱいの刹那さを研ぎ澄ましては取りこぼし、
歯の折れた飛び出しナイフみたいに、何のために存在してるのかわからない曖昧さで
それでもゆっくりと永遠は1兆分のミリずつ、カタツムリ並みのスピードで進んで行って、
何処まで行けばそれが「辿り着いた」ってことになるのかどうか、
誰も知りはしないのだけれどそれは当然過ぎるほど当然で、
僕の疑問は数限りなく、天文学的に増殖するだけ増殖して、
「ま、いっか」のひとことで霧散したり・・・をまた繰り返す。
ああ君と長いような、存外短いような遠大な旅に出たのはいつの夏だったか?
あの「旅」は実はまだ、終わっていないのではないか?
新しい歌、そして古い、古い歌。
忘れられないものはいつまでも忘れられはしない。
時計の針の動き方などここでは、何の意味も持ちはしないのだ。
それでもまた、始めようではないか最新の「日常」を。
光の速さで消えてゆく今、今、今。
でも夏だけがすべての季節の終わりではない。
始まってしまった以上、このジェット・コースター的な人生が「何処か」に辿り着くまで、
見届けてやろう、と思う盛夏のアタシなのであった。
結論。
夏休みの終わりってのはどうしてこう、切ないんだろうね。
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