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2016年08月05日04:02

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プラトンの脚注としての西洋哲学

その都度その都度の現在に閉じ込められている人間以外の動物と違い、記憶や予想の働きによって過去や未来という時間の次元を開いている人間は、現に与えられている環境全体に、過去に与えられた環境全体や、未来に与えられるであろう環境全体を、重なり合う部分について重ね合わせて、そうして重ね合わせられた諸部分のうちのすべてをおのれの具体例とするような抽象的な概念xを作り上げることによって、現在目の前にあるものを、それしかないものとして受け取る段階を超えて、ほかにもありうるxのうちの可能な一例にすぎないものとして捉えることができるようになるのだけど、このような概念化を通じて、具体から抽象へ、いわば身を引き離して、相手と距離を置いて付き合うことができるようになることを、対象化と言う。

ここで対象とは言語によって言い表された指示対象のことで、言語使用できる人間のみが所与を対象化して捉える知性を授かることができる。

概念は言語と共に発生するものだからだ。

しかしながら、概念の前段階となっているものならば、人間以外の動物にもある。

たとえば、単細胞生物アメーバが、すべての餌を餌と概括して捉えて同じ反応を示すことやすべての毒を毒と概括して捉えて同じ反応を示すことができるのは、パターン認識を可能ならしめる食物一般や毒一般というパターンが心の中に参照項xとして予めあってxを参照しているからだ、と考えられる。

ちょうど、純粋な二次元の平面に幅のない直線で書かれた三角形にお目に掛かったことがある人は一人もいなくても、そのような頭の中だけにある理想と照合させるからこそ、現実の黒板にチョークで書かれた三角形の似姿を似姿として教室内の皆が識別できる、ということと、同じことである。

頭の中にしか心はないのでなく、脳以前である最初からすべての物に心がある、と考えた、古代ギリシャの哲人プラトンは、現実世界の背後に理想世界として、イデア界という霊界があって、霊が受肉した結果として、現実世界が存在せしめられた、と説いた。

すべての観測対象が同時に観測主体であるとする現代物理学においては、観測行為が観測対象を存在せしめている、と考えられていて、観測とは相互作用全般のことを言うのだけど、一つの無が相互に観測し合う二つの存在に自己分裂する作用の結果として、相互主観的な現実が生み出されるのだ、と考えられている。

言い換えれば、対象化し合うということが物象化し合うということで、まず多くの物たちがあって、ついでそれらを心という知性が一つに概括して捉える、とする、物質的自然観を、逆転させて、まず一つの心が主客未分のイデアとしてあって、ついでイデアが客観化されて、心という一者の多方向への炸裂として個物たちの世界が創造されたという順序だからこそ、一つのイデアが多くの個物たちの内に分与されているというふうに部分部分に内蔵されている全体の情報を読み取ることによって、知的生命体が多くの個物たちを統一的に捉えるパターン認識が可能ならしめられるのだ、とする、プラトンの概念実在論に対して、無という大きさのない一点からの全方位へのビッグバンが宇宙の始まりであるとするビッグバン宇宙論を導いた現代物理学は、裏付けを与えることになった。

物理学は数のイデアによって多くの個物たちの世界を統一的に捉えようとする営みだけど、近代物理学と違い、現代物理学は、世界に関する数学的にのみ辻褄が合った計算処理だけが可能でそこにどんな目に見える物理学的な描像を描くことも不可能であるような世界像だ。

それは、目に見える具体的な物という見せ掛けの背後の目に見えない抽象的な数を目に見えない抽象的な数のままで露出させるものである。

見せ掛けのヴェールを突き破って、その奥なるイデアに行き着いた、現代物理学者たちの多くは、ハイゼンベルクやペンローズを筆頭者として、プラトン主義者を、名乗るに至っている。
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