シン・ゴジラ見てきましたよ。
パニック映画というよりも、架空のゴジラをメタファーにした政治劇。
ゴジラというのは現実の日本の問題点を浮かびあがられるメタファー(比喩的存在)なんですよ。作品のキャッチも、「現実Vs虚構」をうたっています。
じゃあゴジラが浮き彫りにする「日本の現実」とはなにかというと、法律解釈にがんじがらめに縛られたわが国の防衛や危機管理なんです。
ゴジラのような巨大生物が日本を襲っても、官邸は日本国内の首都圏での防衛出動を躊躇うあまりに、まだ幼獣段階だったゴジラに気概の心配なしと国民に安心して見守るように記者発表してしまいます。
これは深刻な被害を受けないと、住民の生命や財産に被害の出るような軍事力の行使などリスクを伴う意志決定が出来ないという、今の政治の弱点をあぶり出している訳です。
さらに何とか防衛出動命令を自衛隊に発令して、ゴジラ駆除に重い腰を上げたかと思いきや、わずか2名の逃げ遅れた老夫婦を庇うあまり、攻撃中止命令を出して、ゴジラの蹂躙を野放しにしてしまうのでした。
『シン・ゴジラ』があぶり出しているのは、政治における決断力の欠如と責任の所在の曖昧さです。
それはたとえ巨大生物が国土を蹂躙しなくとも、たった数名のゲリラが国内で破壊工作を行うとき同様の問題が発生することでしょう。
まぁこのように、官邸がいかに弱腰で、アメリカの言いなりになって東京に核爆弾を落とすことに同意していく過程を凄くリアルに再現していました。
自衛隊は弱いけれど奮戦します。弱いなりに日本の科学技術力でリカバーして、ゴジラに対峙していく過程がなかなか見物です。
それにしても、本作の官邸の動きや自衛隊の作戦行動のリアルさには脱帽しました。それを感じさせるためには、膨大な内閣府や自衛隊からの情報提供を受けてのものでしょう。それらを精査して、2時間の枠組みのなかで、もしゴジラのような巨大生物が東京を襲ったらどうなるかという考証を、限りなくリアルティに再現させてみた庵野総監督の脚本は、なかなかの力作です。
とにかく日本の主立った俳優を総動員し、また自衛隊と日本政府の全面協力を得て製作された本作は、これまでの邦画のスケールを遙かに打ち破る大作でした。東宝の本気度が伝わってきました。
それにしても、今回のゴジラ野村萬斎さんがモーションキャプチャー演じているだけに、かなり腰の据わった和風テイストに溢れるゴジラでしたね。
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