何もかもが無駄だった、とは思わない。
確実に、「素敵なこと」はあったし、
頭がぶっ飛ぶくらいに感動したりした。それも、何度も何度も何度も。
今になってみると、残されたものはそう多くはない。
ガラクタに見える・・・っていうか、そうとしか見えないものも、ある。
でもそんなことは問題じゃなくて
大事なのは
あのときの火が、今でもまだ燃えている、ってことかもしれない。
大した火じゃないんだが、それでも。
しかもそれは「残り火」じゃないんだ、どっちかっていうと
「延焼」って感じか。・・・燃え広がってるのね。
火勢の規模は小さくなっているかもしれない。
でもその内燃の温度は、確実に上がっている。
遥か遠くの、青く見える恒星みたいに。
あれは凍っているのではなく、
超高温で静かに燃えている。そんな感じで。
そして
悔しまぎれに言うのではないのだけれど、
何ひとつ、無駄ではなかった。
・・・・・・・・・・・・・・そう思えるのはいいことだ。
もうひとつ。
君のことを含めた何もかもを、
忘れられないのも「いいこと」にしておく。
・・・・・・・・・・・それでいいのだ。
さてさて、
「雨上がり」は、いつも嬉しい。
いろんなことがうまくいく・・・・みたいに思えるし、
それはきっと錯覚じゃないんだぜ。
それじゃね。
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