近況報告を少し。
「昭和レトロな運送会社」で俺は、働き続けている。
”すったもんだ”あったり・・・・したが、何とかやっていけそう。
ただし、今は4トントラックに乗っている。10トンは・・ちょっと俺には大き過ぎだわよ。
それで、最近はその4トンで関西のあちこちに行っている。
昔住んでいた土地を通ったりすると感慨深かったりする。
こないだは、大阪の「長居」を通った。
長居に住んでいたのは20年くらい前だ。街自体はあんまり変わってないように見える。
とか言って、俺自身もそんなに変わった気はしない。
20年なんて、大した年月ではないのか?と思ったりするが、
でも、例えば今19歳の姪っ子は・・・あの頃、存在すらしていなかったのだ。
そう考えると大したものだ、って気もするが・・・・・わからないよね。
おとといは大阪から奈良へ向かう道中、
懐かしの「阪奈道路」を通った。本当に本当に久しぶりに。
奈良に行くことはあるけど、西名阪とか、25号線を使ったりすることが多かったから
「阪奈道路」って、その存在すら忘れてたんだよな。第二阪奈も出来たし。
「阪奈道路」は、それこそ俺が19歳だった頃、よく通った道なのだ。
当時は、原付免許しか持ってないから、50CCのスクーターで。
奈良の富雄に友達がいたし、「阪奈道路」が便利だった。
19のころって、すごく気持ちが揺れ動いてたりして、
とにかく青くて、幼くて。
何だか思い出すのも酸っぱい・・・・というか、こっ恥ずかしいので
たぶん、無意識に忘れようとしてて、そのせいで、記憶から飛んでいたのだが
30年ぶり?くらいに「阪奈道路」を通ったら、
いきなり、鮮明に、その頃のことをいろいろと、しかもありありと・・・思い出してしまって、
参った。
「阪奈道路」も、ほとんど変わっていなかった。
変わってしまうのはやはり、人間のほうなのだ。
富雄に住んでいた友達の一人も、もう、今はこの世にいない。
「わが青春の」などとタイトルに書いたが
「青春」というのは俺にとっては
「こっ恥ずかしいもの」であることを再認識した。
「忘れたいこと」は忘れられなくて、
「忘れたくないこと」は忘れちまうんだよな。
困ったものだ。
ログインしてコメントを確認・投稿する