わたしは最近悩んでおります
恥の病に侵されているのです
常に過去の事を思い
なぜそのようなことをしたのかと
思い出すと羞恥に堪えません
其れが特別であることばかりか
平時日常にかけてのことも記憶もすべてが
わたしの羞恥の対象になりえます
わたしはわかりかけてます
恥とは頭痛なのだと
これは頭の痛みから起きてます
胸の痛みとは違うのです
不思議なものです
最近ではわたしは心や生というもの魂が
心臓かその裏あたりにある小部屋にあることを発見しました
とにかく毎日のように金縛りにうなされると次第に
自分が体のどこにいるかがわかるような気がするのです
人の世はとかく不条理なものだなと思います
存在理念自体が正しいのか疑いたくもなります
恥を感じはめると
毎日が過去の講堂に苦しめられます
日本の作家の恥の多い人生をいきてきたという有名の人も
僕と同じ頭痛の持ち主でしょう
頭痛には他にリラックスできるものや閃けるものなのや
安心できるものも快楽的なるものもあるので
頭痛を悪いものと決めつけてはなりません
あるときには脳の回路を開く稲妻にもなるなずですし
僕はそれらは体験しました
さて恥の頭痛が来ました
精確にはもう何年も前から始まっていたのですが
最近ではもう何もできないしたくないといほどに
まああとから後悔するからですな
だいたいは酒をのんでいるせいもありますが
しかし頭痛というものは不思議です
恐らく太宰治の有名小説の冒頭がこのように始まっている理由とは
恐らくは本人も知らないことでしょう
身を焼き身を亡ぼすのには相当の理由が認められる時がある
わたしは日々恥を感じながら過去を懺悔し
それからそのようなことのない天の世界やもっと高貴な完成された
いうならば箍の外れたあの空間へと旅立ってしまいたいと願うのです
しかしわたしは地上に生まれて生きていることに幾何かの誇りを思います
わたしという生命体心臓太陽宇宙舟は
脳に指揮系統を保ちながら
かなり迂回してでも構いませんから
泥臭く宇宙の端っこまでを探索するのです
ですからわたしは今一度成長をするつもりです
今一度の子の恥の原理にある頭痛の部分を超えて
地球でしか知れない他の感情や場所にたどり着くべく
心を新たに決めるのであります
本当に後悔というものは
全てが決したあとにやってくるでしょう
例えば命や魂がまだあるとしたなら
其れが去った後に
例えば砂場や海岸で小さな建造物を作っても
山を作ればそれはそれで壮大ですが
だいたいはピラミッドや城や神殿を創り出し
しかしそれらは風雨と波となにより時間という変化の流れに失われても
まだ時間という変化がある以上は作り直せる
呼吸をする以上は息を止めない
息を止めたら死んじゃうから
まだ未知なるものがこの心臓にはある
それを人は未来と呼ぶのかもしれないが
未来も過去もとおりぬけて
心臓は宇宙を駈け抜ける通り道なのでそんな簡単には殺してはいけない
きっと僕らの楽園ではあれが待ってる
脳も痺れるやさしさに包まれた感情と
輝きに満ち溢れた感覚というものが
地上にある者は全てその模倣に過ぎないとしても
絶えず一歩一歩を歩いているのだろう
しかし恥という感情の原理が頭痛により起因しているという原理の説明をするのを忘れました
より高度の者はそうなりますが
大抵の方たちは恥よりも怒りの感情がうわまわるでしょう
それは胸から来るもので心臓です
胸の怒りが収まったらつぎには微小な頭痛とそれから全身を作用されるほどの恥がめばえるはずなのです
それはわたしが発見した即身成仏への道の途中でもありますでしょう
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