「希望はずいぶん嘘つきではあるが、とにかく、私たちを楽しい小径をへて、人生の終わりまで連れていってくれる」
(1613年フランスの文学者ラ・ロシュフーコー)
「牢獄という極限状態にいても幻想であったとしても、窓から射し込む明かりのもとに、温かいビフテキがおいてあるという希望を抱くことができる」
(サルトル)
シベリアに抑留された私の叔父さん(福井の寺の住職で掛布など阪神タイガース選手達の心の支えになっていた)も日本に帰る希望を捨てなかった。
希望はあきらめたら終わりです。
「なかなか簡単には手に入らないようなものほど欲しくなるものだ。
しかし、いったん自分のものになり、少しばかり時間がたつと、つまらないもののように感じ始める。
それが物であっても人間であってもだ。
しかし、飽きるのは自分の成長が止まっているからだ。
人間として成長を続けている人は、自分が常に変わるのだから、同じものを持ち続けても少しも飽きないのだ」
(ニーチェ)
私もそう思います。
希望もそうです。
希望が手に入らなくても、入ったとしても、自分が成長していれば、その希望がもっとふくらんだ奥深い希望となると思っています。
希望がかないノーベル賞をとったから終わりではなく、さらにその先が見えて来るものです。
「山を登りつめたら、また違った風景が見えてきた」
(ユーミン)
免許をとっていろんな職業についたから希望は叶ったで、終わりではなく、その先の使命が見えてくるものです。
どんな希望でも
人生の終わりまで連れていってくれる。
いい言霊を見つけたと思いました。
希望を捨てないお年寄りは、まだまだ成長しているのです。
人間は死ぬまで成長できるものだと思います。
希望と成長についてお話しさせて頂きました。
合掌
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