本日はクリスマス当日でありんす。
エスさま(イエスさま?ジーザス・クライスト?)の御生誕の日、とされてるそうで、
前にもこの日記に書いたのですが
私としてはそれ以前のこの日の風習、「冬至のお祝い」の方がしっくりくるので御座いますよ。
それと個人的に、古い友人の誕生日が冬至と重なっている、
ということを何年か前に知り(教えてくれたSさんありがとう)、
遅まきながらその事をささやかに心の中で祝うだけです。
今年の「冬至」は、おとといだったんだよね。
しかしアレですね、、今思ったのだけれど
「冬至」を祝う、という風習はキリスト教以前(ってことは紀元前!)
から、世界各地で存在するらしいんですが、その切実な心境は・・・・・・
農耕民族のもの、なのかな。
季節の巡りが、いちばん「生きていくこと」に密接なのが「農耕の民」であったろう。
もちろん、どんな者でもそう、なのだけれど、特に。
実は俺もさっき、自分で管理してるささやかな「花壇」を見に行ったら、
来年春咲くはずのチューリップの球根が一個、誰か不届き者に掘り返されているのを発見して、
温和な私にしては珍しく、憤怒の中で丁寧に埋め戻す作業をしてきたばかり。
(不届き者には天罰が下ることを。)
球根はもう緑色の芽が、ちょこんと出ていて、愛らしいことこの上ない。
この子(←擬人化されている)がちゃんと咲くには、冬至を境にゆっくりと、
昼と夜の長さが逆転し、ほんの少しずつ、春に近づいて行ってくれないと。
「季節」にはちゃんと機能してもらわないと、生きとし生けるもの全てが困り果てるのです。
私は今現在、「冬休み」のような心境で粛々と暮らしておりますですハイ。
来年からは働き出す目途が立ち(先のことなんてわかりゃぁしないんだけどきっと、うまくいくであろう)、
近く「日常」が「日常としての顔」を取り戻す予定。
それで、どうなるのか?と言えばそれはそれで、また淡々と生きていくだけなのでありますが、
それだけで充分じゃ御座いませんか。
また新しい歌を創ったり、トモダチと逢ったり。
そんなことばかりが続くのかと思うと、嬉しくて眩暈で倒れそうな気になります。
さて、ここでひとつ、12月25日にふさわしい文学上のささやかな話を。
1
古い話なのですが
1979年に「群像新人文学賞」を受賞したのは
村上春樹氏の記念すべき第一作目の小説である「風の歌を聴け」なんですが
(俺はこの作品に個人的に、強い思い入れがあります)、
どうも、この作品、初めからこのタイトルではなかったみたいなのです。
確たる証拠はないのですが、
「ハッピーバースデーはホワイトクリスマス」
というのがもともとのタイトルだった、
という話が、関係者だけが知っている噂・・・として、存在するのです。
そう言われて見れば確かに、単行本の装丁は
佐々木マキ氏の描いた表紙画の上のほうに手書きの小さな字で
BIRTHDAY AND WHITE CHRISTMASと書いてあるし
(「HAPPY」は後入れされた「風の歌を聴け」の文字で隠されてしまっている)
表紙カバーをめくると真ん中に
HAPPYB
IRTHDAY
ANDWHI
TECHIRI
STMAS●
とだけ、印刷されています。
まぁ、真偽の程はともかく、「ハッピーバースデーはホワイトクリスマス」って
型破りで一種、素敵なタイトルだし(俺はこっちの方が好き)、
このタイトル(かもしれない)、ということを念頭において読むと作品もまた、
違った感じがするかもしれません。
・・・・うーん、今思ったのだけれど「ハッピーバースデーはホワイトクリスマス」ではなく
そのまま英語(アルファベット)で、
「HAPPY BIRTHDAY AND WHITE CHIRISTMAS」
だったかもしれないよね。
真相を作者が公表することは恐らく、ない・・・・だろうから
本当はどうなのか?ってことはわからないんだけど。
「風の歌を聴け」、というタイトルはトルーマン・カポーティの
「夜の樹」という最高の短編集に収録されている
「最後の扉を閉めろ(シャット・ア・ファイナル・ドア)」の最後の文章から取った、と
村上春樹さんは説明しているのですが、
こちらも もちろん、素敵で御座います。
カポーティは本当に・・・・「天才」って感じがするよね。
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