mixiユーザー(id:1812348)

2015年12月04日18:23

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ボランティア元年。

薪を拾いに行って、未だに帰ってこないようなボランティア
は、例外ではありません。
何しに来てるんや、と思わずにはおられない青年たちは六甲
山ほどおりました。

しかし六甲山を乗り越えて、富士山ほど素晴らしいボランテ
ィアがおりました。
それを指して、阪神淡路大震災をボランティア元年というこ
とには大賛成であります。

震災の翌日から地元の大学生などが手伝いにやってきました。
彼らには「東灘区役所に行け!」と、命令を下しました。

小学校では、避難されている方の内の元気な方で、人手は足
りていました。
歩いて20分の区役所に、私は震災当日から何べんも通いま
したが戦場のような忙しさでした。
戦場というものを私は知りませんが、切迫した戦場以上の忙
しさだったと感じます。

まずは棺桶の用意、絶対的に不足している火葬場の手配。病
院の確保。避難所の確認。押し寄せてくる支援物資の受け取
りと配達。
押しかけて来る区民への、ありとあらゆる相談。

若者たちには、「とにかく区役所へ!パソコン持っている人
は持って走れ!」と叫んでいました。
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