昨日の運動会お年寄りは感激して喜んでくれました。
子供たちが一生懸命走ったり、頑張る姿に号泣したおじいさんもいました。
施設内でのミニ運動会でしたがとても楽しかったです。
報告終わり。
さて話は突然変わります。
仏教には「お布施」があります。
西洋の文化には「チップ」という習慣があります。
共に感謝やお世話になった御礼の意味として使われています。
それで、生活の足しにすることが似ていると思いました。
お坊さんが村に托鉢(たくはつ)に出ます。
お金も持たずに手ぶらです。
鉢(うつわ)に小銭やお米などを頂いて帰ります。
これも修行のうちです。
この「手ぶら」の修行と聖書のイエスの言葉と似ていることがあります。
金持ちの青年がいます。
イエスの一行に私も加えて下さい。
神の身元に近づきたいからとイエスに頼みました。
イエスは喜んで受け入れました。
それではあなたのすべてのお金を貧しい人に差し上げてからついて来なさいと述べました。
すると、青年は去っていきました。
無一文(手ぶら)で行く自信がないのでしょうか。
それとも、折角貯めたお金を手放す勇気がなかったからでしょうか。
しかし、先日書いた桑の木の上で一行を見ていたザアカイという金持ちの青年はすべてを捨ててついて行きました。(ルカ19)
仏教も聖書も神に近づくためにはお金は必要ないのです。
必要な時は神様が助けてくれるからです。
それを信じなさい。
そんな、教えの気がします。
死んだらお金は持っていけません。
手ぶらの精神が神に近づく道なのでしょうか。
僕はまだまだ修行が足りません。
仏教にはお布施の一つに
『和顔愛語(わげんあ
いご)』という言葉があります。
いつもやわらいだ笑顔で人に接し、
いたわりの言葉を他人にかけることをいいます。
これもお布施の修行です。
これを日常気を使って
やってみるといいでしょう。
神様に近づき、
力になってくれると信じます。
和顔愛語
僕も努力しないと
合掌
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