人はつい目先の事に気をとられて、大切なことを見失うものです。
サッカーや野球観戦、花火見物に夢中になって、大切なものを無くしたり、事故にあったりなんて経験ありませんか。
そんな話を聞いていたら、古代にもありました。
吉田兼好の『徒然草』に
「我等が生死(しょうし)の到来、ただ今にもやあらむ。
それを忘れて、物見て日をくらす、おろかなることは、なほまさりたるものを」
(わたしたちはいつ死ぬかわからない。こうしている今すぐにでも死ぬかもしれないのだよ。それを忘れて、平気で見物してその日を過ごしている。考えてみると、私たちはあの人(坊さん)よりもずっと愚か者かもしれないよ)
吉田兼好が賀茂の競馬を見に行った時の話。
大勢の見物人が群がっていて見ることができずにいると、ある坊さんが木の上に登って見物を始めた。だが、坊さんは木にしがみついているうちに眠くなってしまったらしい。
時々落っこちそうになって目を覚まし、あわててしがみつく。
これを見ていた人たちは、「なんとも愚かな坊さんではないか。あんな危ない枝の上で、よくまあ平気で寝ていられるものだ」と笑っていた。
それを見た吉田兼好の言葉でした。
これは、何かに夢中になっている時こそ、頭を冷やして回りを見渡して、別の角度からも見直すことが必用だ、そうすれば、つい見落としていた大事な事に気づくからとの教えです。
僕はこれを読んで、東京オリンピックのエンブレムや、国立競技場等の件が浮かんで来ました。
浮かれ過ぎて、大切な事を見過ごしてしまったのではないかと。
目先の事に有頂天になる前に、冷静な目をもつ人になりたいものです。
僕はあの坊さんが自分見ているようで、好きですけどね。
合掌
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