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2014年10月26日13:43

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二楽荘と大谷探検隊

数年前に、京都西本願寺の近くに龍谷ミュージアムというのができるというニュースを聞いた時には、胸を躍らせたものだ。
本願寺、いや浄土真宗それ自体が、私にとってはまず第一に、大谷探検隊の母体、だからである。
そして、第二、第三というのはほぼナシというところが、わたくしの教養の浅さを表しているのですが。

龍谷ミュージアムというからには、もうどう考えたって、私の大好きな大谷探検隊の記録や、将来したお宝を展示してくれるわけでしょう?
そう言いつつ、「仏教の来た道 ーシルクロード探検の旅」という2012年の特別展は、当時の粗い監視網からばっちり抜け落ちてしまって、見逃したのではあるけれど。
あぁくそぅ、私は何をやってたんだ。

そしてこの秋、京都が紅葉の全盛を迎える直前に、この展示会が開かれた。
『二楽荘と大谷探検隊 ーシルクロード研究の原点と隊員たちの思い』
http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/sp.html

世の中が一斉に、そうだ、京都行こう、なんて呟いてるようだけれど、そうだ、なんてものではない。
二た月前に足と宿の手配をした・・・・が、秋の京都を愛する人々のなんと多いこと、安いパックはその時点で選択の余地がないほどに限られていた。
京都という邑は、想像以上に特別な処なのだな。
とにもかくにも、この展示のために、久しぶりで単身のお出かけを実施した。
復路の新幹線をグリーン車にしたのは言うまでもない。(こだま、だけど。)


私は過去の日記で、繰り返し「大谷探検隊」なるもの、及びそのオーナーの大谷光瑞への偏愛を語っているので、ここでは繰り返さないことにする。
今回の特別展は、探検の内容や将来品(つまり、ぶんどって持って帰ってきたお宝の数々)がテーマではなく、大谷光瑞がその研究や保存、人材育成のために六甲山腹に建てた奇妙奇天烈な館「二楽荘(にらくそう)」の全貌を紹介する、というものだった。
そしてついでに、探検から戻ってそこで研究に従事した隊員たちの書簡や持ち物を遺族や関係者からかき集めて展示している。
図録を読んでいて知ったことだが、1997年に、芦屋市立美術館が『阪神間モダニズム』という、大阪と神戸に挟まれたエリアで明治末期に花開いた文化を紹介する展示を行い、二楽荘はその阪神間モダニズムを象徴する建物であったことが明らかにされたそうだ。
1999年には、それをさらに掘り下げた『モダニズム再考 二楽荘と大谷探検隊』という特別展が開かれ、二楽荘及びその後の戦後のモダニズム文化を記憶している人々から多くの意見や感想が寄せられて、あの時代の、あの場所が持っていた魅力は、今も人々を惹き付けることが明らかとなった。
今回の龍谷ミュージアムでの展示は、芦屋の最初の展示から数えて3度目の、幻の二楽荘の復活、と言えそうだ。

「幻」と書いたのは、その主役の二楽荘が、完成からわず7年で人手に渡り、その16年後には不審火で消失してしまい、全貌がほとんどわからなくなってしまっていたからだ。
インドのマハラジャの邸宅と見まごうばかりの異様な、しかし人を惹き付けてやまない外観に、内部にはイギリス室、アラビヤ室、印度室、支那室といった、その国の調度品を飾った豪華な内装の各部屋を持ち、外にはテニスコート、印刷所、温室、気象測候所を設け、本邦初のケーブルカーを敷き、中央アジアから持ってきた種でマスクメロンも栽培していた。
また、寄宿舎のついた学校も作って有能な人材を集めて教育を施し、研究機関を設け、一方、探検隊が集めてきた各国の美術品を公開、絵葉書を作ったり、電気の明かりの色で地元に天気予報を知らせたり、地域の新聞に文化記事を載せたりして、人々にモダニズムの洗礼を浴びせていた。
しかし、その湯水のようなお金の使い方に浄土真宗本願寺派内部からの批判も多く、金銭的スキャンダルが起きて大谷光瑞は失脚、二楽荘内の家具や装飾品は競売にかけられ、蒐集した文物は朝鮮総督府や満鉄の図書館に移送され、その後少なくない数が散逸してしまった。
この度、二楽荘の図面が発見され、これまで写真や焼け残りの煉瓦などから推測されていた二楽荘の全貌が、ここにようやく明らかになった。

先ほども書いたように、大谷探検隊及び二楽荘に関係した多くの人々の写真や書簡、持ち物も多く展示されている。
橘瑞超や吉川小一郎など、探検で活躍して書籍にも名が残るような隊員のほかにも、大谷光瑞に命ぜられて各地へ調査に赴いた隊員の、現地から家族を気遣う絵葉書や、当時の旅券、発掘品のスケッチ、仲間と撮った写真など、あの時代に向学心と使命感と信仰と、もしかしたら名声を欲する気持ちにも燃えていたであろう40数名のポートレイトが、展示室で静かに声を上げているように感じた。

ミュージアムの2フロアをうろうろと巡る間、大谷光瑞の見た夢を、隊員たちが奮闘した旅を、私も共有するかのような気持ちで過ごした。
さぁそろそろ、「その後の大谷光瑞」についても、もうちょっといろいろな本を繙いてみなくてはならない。
彼は別府でその生涯を閉じたが、二楽荘を手放してアジアへ打って出た大谷光瑞の夢の続きを、もっともっと知りたく思うのだ。


『二楽荘と大谷探検隊 ーシルクロード研究の原点と隊員たちの思い』は、11月30日まで。
http://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/sp.html




大谷探検隊について
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大谷光瑞@別府
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大谷記念館にて
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大谷光瑞の妹・九條武子
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