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2013年03月11日22:31

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甘い蜜の部屋

あれから2年が経った。
しかし、日記でそのことに触れるのは敢えてやめておこうと思う。

一度は読んでおかなくてはと思いつつ、ずっと機会を逸していた本がある。
ここに来てようやく読む踏ん切りがついて、熱に浮かされたかのような中で読み終わった。
それは森茉莉の『甘い蜜の部屋』。

来月に銀座のヴァニラ画廊で興味深い企画展が開かれる。
それが森茉莉生誕110周年記念「甘い蜜の部屋」展である。
ご存じの通り、森茉莉はあの文豪森鴎外の娘である。その彼女が還暦を超えてから長い時間をかけて仕上げた耽美的な少女小説が『甘い蜜の部屋』で、それをテーマに気鋭の作家たちが競作するという企画展である。ちなみに、少女主義的水彩画家たま女史も出展する。

http://www.vanilla-gallery.com/archives/2013/20130415.html

これまでに読んでおかなくては、ということがきっかけになった。

主人公は牟礼藻羅(むれ・もいら)という少女。
モイラは魔性を秘めた少女である。しかし、モイラは積極的に動こうとはしない。ただモイラとしてそこに居るだけで男たちは魅せられてしまうのだ。
これはモイラによって滅ぼされた男たちの物語であり、父である林作とモイラとの濃密な関係を描いた物語でもある。
おそらくモイラは絶世の美少女なのだろう。無邪気で我儘で本能の赴くままに生きている。ハイティーンになっても心は幼女のままのようで、官能と背徳の香りを漂わせている。
デカダンでエロティックではあるものの、直截的な描写はほとんどない。
独特のリズムを持った文体は、正統的な美文とは言えないが、どことなく格調の高さを窺わせる個性的な文章である。このリズムに馴れてくると、意外なほどクセになる。登場人物の心理描写も細かく、それぞれの葛藤や懊悩がこれでもかと言わんばかりに描かれる。
結構息苦しくなるような物語なのである。
富裕層(ブルジョワ階級)の物語なので、海外小説を読んでいるかのような隔たりを感じなくもない。それゆえか一種のファンタジーという気がする。もっとも、恐ろしいファンタジーではあるが。

モイラ(moira)はおそらく森茉莉のアナグラムであろう。森茉莉(mori mari)の重複する文字を一字として考えて並べ替えればmoiraになる。また苗字の牟礼もまた暗号である。森(mori)の母音をaiueoと並べて左に2つ、右に2つずらせばmureになる。2というのは父と娘という意味かもしれない(これは考え過ぎか)。
さらに父の林作は鴎外の本名の林太郎から取られたことは明らかだ。

注目すべきはモイラという少女ながらのファム・ファタールを女性が描いたということであろう。
たとえばナボコフの『ロリータ』や谷崎潤一郎の『痴人の愛』や『春琴抄』でもいいが、これらは飽くまでも男性が描いた少女である。魅せられ堕ちていく男の視点から見た少女なのだ。なので「魔性の女」というキャラクターが明確になっている。
ところが、モイラは少女そのものとして描かれている。曖昧模糊とした捉えどころのない存在としての少女という感じが良く出ている。わけのわからないもの、少女とはそういうものなのだろうと思う。なので、モイラという少女は細かく描写されてはいるものの、どこか曖昧で茫漠とした輪郭しか掴めない。そこが新鮮だった。

裕福な家に生まれて、母を亡くしたものの(あるいは亡くしたゆえに)父親の過剰すぎる溺愛(なんてものではない)を受け、使用人に見守られて育つ。道徳的なものを嫌い、他者に阿ることをしない。あらゆるものを与えられ、全てが許される。我慢を知らず、さらに哀れむということすら知らず、心の空ろな美しいだけの少女。しかし、その美しさは欠落を補ってあまりあるほど際立っている。
モイラはそんな少女である。まさに史上最高(最悪?)のニンフェット。

もし現実にモイラみたいな少女が身近にいたら大変である。

しかし、そういう少女(あるいは女性)に魅せられ滅んでいくという甘美な願望は誰しも心の底に抱いているのではないか。無意識かもしれない密やかな想いとして。
これと見込んだ美しいものに対して全てを投げ打ってしまう愚かさというのが男にはあるのだろう。それは男という生き物には決して備わることのない心身の美しさというものを愛でたいためなのかもしれない。
それゆえ、男には魅了する存在としての少女は描けても、少女そのものを描くことは難しいのではないだろうか。男にとって所詮少女は他者なのである。そこには少女はこうあるべき、あるいはこうあって欲しい、という思いを映し出す意外にはないのである。

女性にとっても少女は他者であるかもしれない。
少女はやはり特殊な生き物で、心身の成長と変化とともに少女は死に、女性として生まれ変わる。少女と女性とは別の生き物なのではないか。そんな気がしている。そして、少女としての残滓を多く残している女性こそが、真にリアルな少女を描けるのではないか。
私は最近こんなことを考えている。

いや、これこそが少女というものがわからない男の戯れ言に過ぎないのかもしれないが…。

なにはともあれ、この『甘い蜜の部屋』を読んでも、少女というものをよくわからないということには変わりはない。
このところ小さな友だちが増えているのだが、みな極めて健やかに育っているにもかかわらず、内包している相反する二面性には驚かされることが少なくない。そこに魔性を秘めてはいないとしても、やはり少女というのは神秘なのである。

少女たちよ、感情の赴くままに、思うように生きたまえ。
永遠に少女で留まることは許されないのだから。
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